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Cafetalk Tutor's Column

may 講師的專欄

人間の質

2019年9月2日

こんばんは。
今日は職場でこんなことがありました。
日本の水泳選手と歌手の結婚報道、しかも歌手の女の子のお腹には赤ちゃんが…。というニュースがあったのですが、それを耳にした同僚たちが口々に否定的な意見を言いだしたのです。

ー水泳選手はスランプで休んでいたのに子どもなんか作って…。
―来年はオリンピックもあるし、大事な時期なのに…。

私はその二人の結婚をステキだと思ったし、赤ちゃんが生まれるなんてもっとすばらしい!と思ったので、同僚たちに「彼がスランプのときに彼女が支えたんですね」と言いました。けれど、返ってきたのは相変わらず否定的なことばかり。聞いているとだんだん気分が悪くなってきたので、それからはなるべくしゃべらないようにして仕事に集中しました。

でも頭の中は「???」
・スランプ中じゃなくて絶好調のときになら子どもを作ってもいいの?きっとそれはそれでバッシングされるだろうけど…。
・オリンピック前ということは子どもだけじゃなく結婚もだめということ?じゃあ、いつならいいの?引退したあと?世間から注目されなくなってから?それはいつ?
・つらいときにこそ支えてくれた彼女の存在は、彼にとって大きかったのでは?
・水泳以外にも大事なことが見つかって、それらを守りたいという気持ちは尊重(そんちょう)されるべきことなのでは?

面倒だったので、もちろん口には出しませんでしたが、そもそも二人にしかわからないことを全然知らない周りの人がとやかく言うことではないと思うのです。結婚も子どもも少なくとも私たちの許可は必要ないわけですから。子どもを作るなんて、という発言はまさに下世話(げせわ)そのものではないかと憤り(いきどおり)を感じました。

それで、自分を納得させようとした結果、たどり着いたのが「ああ、この人たちは人の悪口をエサとして食べて生きているんだな。エサがなくなったら死ぬ。だから常にエサを探しているんだな」ということ。思えば最近の政治家とアナウンサーの結婚のときも、俳優と女優の結婚のときも「よかった」とか「おめでたいことだね」なんていう言葉は一切なく、否定的な意見しかなかったのです。自分が接している人の悪口ならともかく(!)、テレビでしか見ない人のうわさ・悪口を言うような感覚は私はないなあと改めて思いました。

帰宅して家族に話したところ、「その人たちとあなたとは人間の質が違うということだね」と返ってきて、そうか、だから気分が悪くなったのか、と納得したのでした。

人の不幸は好きだけど、人の幸せは嫌い。自分が幸せじゃないから人の幸せが喜べない。…なんだかそれってさびしいですね。そう考えたら、私はすごく幸せなのだと思います。

…一通り書いたら
、すっきりしました。あ、私はすっきりしましたが、読んだ方をモヤモヤさせてしまったらごめんなさい。長くなりましたが、読んでくださってありがとうございます!

may

專欄文章僅代表作者個人觀點,不代表咖啡滔客的立場。

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