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Cafetalk Tutor's Column

Toria 講師的專欄

涙の味そして、師弟

2022年2月23日

涙とともにパンを食べたものでなければ

人生の味はわからない

ドイツを代表する文豪・ゲーテの言葉です。

泣きながら、ごはんを食べた事ってありますか?

嬉し泣きで食べるなら、幸せで美味しいかもしれないけど
悲しかったり、辛かったり。
そんな泣きで、ごはんを食べるのは
とてつもなく消化が悪そうです。
 

わたしは今まで、生きてきて3度ばかり
そんな涙を流しながらの、消化悪そうなごはんを食べた事があります。

そして、その3度目が
今日。
「涙の味」を噛みしめました。

わたしの恩師である高校時代の先生が亡くなっていた事を、今日知りました。

先生は古文を担当していて、担任だったのは2年生の1年間だけ。
当時、先生は30代後半でまだ若かった。
真面目過ぎるほどの見た目で、明るいキャラとも言えず。
妙に貫禄と落ち着きがあり、人生のすべてを知っているのではないかと思わせる
何かを持っている人だった。 

わたしは真面目にやっていても、どこか要領が悪く
いつも隣にいる、何でも出来る友達の横で
劣等感を抱いていた。

先生は、そんなわたしのことをすべてわかっていた。

「おまえ、カメなんだから。うさぎになろうとするな。
カメはカメらしく、自分の道をしっかり一歩一歩 歩け。
今の勝ち負けじゃなく、5年後・10年後どうなっているかだ。
負けるな。自分に負けるな、TORIA!」

なんて、ひどい事を!言うんでしょう…わたし、カメ!?

そう、心の中で叫んでました。
でも、そんな事を遠慮せずに言ってくれるのが、先生だった。

何があっても、変な同情や慰めや励ましはせず
「本当の言葉」でいつも指導、激励してくれた。
 

今どきは「師弟(してい)」というものが
煩わしい言葉、関係のように見られがちだが・・・。

しかし、わたしは唯一
「師」として慕い、常に心に留めていたのが先生だった。

母が亡くなった時に、先生がこの言葉と共に励ましてくれた。

 「生きてをはしき時は生の仏、今は死の仏なり、生死ともに仏なり。
亡くなった方は口をきいてくれない。
肝心なことは、生きている者がどう捉え、どう生きるか、どう行動するかだ


今、先生の死に、わたしはこの言葉を心のなかで繰り返している。

さみしいけれど、かなしいけれど
先生は、高々と手を挙げながら
堂々と、楽しく
さっさと次の時代に走っていったんだね。
威風堂々だね。
きっと。

また、会える。
また会える日まで、しょうもない弟子だけれど
自分に負けずに、しっかりと生きていこうと思います。

エルガー「威風堂々」

高3の受験前、毎日先生が小論文のトレーニングに付き合ってくれたのが
今、こうしてコラムを書く「原点」になっています。

TORIA (o ̄∇ ̄)/

專欄文章僅代表作者個人觀點,不代表咖啡滔客的立場。

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