地下鉄を乗り継いでの、初めての電車通学。
簿記学校での学びのスタートは
まず、通学に慣れる事。
神田神保町と言えば、本の街。
しかし、当時はバブルの好景気。
土地が高く売れ、新しい建物が立ち並び
わたしが選んだ簿記学校も、あっちこっちに校舎を建設していた。
地下鉄の出口をひとつ間違えて出ると、もう何処にいるのかわからない…
東京生まれ東京育ちとは名ばかりの、お上りさんだった。
入学すると自動的に、ビジネス科に割り振られる。
一クラス70名が4クラス。
9か月後に、自分の希望の進路に沿って専攻課程を選ぶ事になる。
とにかく、最初の9か月は
簿記、珠算、経済系科目だけを徹底的に叩き込まれる。
考えてみたら…
いや、考えなくてもわかるが
Toriaと言えば、数字に弱い\(。⊿°)/
それなのに、簿記学校である。
授業が始まり数日で、わたしは母に言われるがままに選んだ
簿記学校に入学してしまった事を悔いていた。
数字が辛い…
先生が何を言っているのか、全くわからない…
そろばんに至っては…指が動かない。
なぜ、お母さんはそろばんを習わせてくれなかったのだ!と
この時ばかりは、すべて親のせい!と
あらゆることを嘆き、悔いていた。
クラスメイトの中には、珠算全国大会3位などというツワモノがおり
商業高校出身の子は、すでに簿記のなんたるかを知っている。
入学からすでに差がついていて、何も話についていけない。
学ぶことが、こんなに地獄だとは…。
算数、数学、物理…
高校で赤点を取っていたあの頃よりも辛い。
あの勉強の苦しみを超える”地獄”が
今、目の前にあった。
年間の学費一括払いである。
100万以上のお金を、もう親は払い込んでいる。
毎日毎日、風呂場で声を押し殺して泣いては
シャワーで涙を流す日々が続いた。
さすがに逃げ場がない…さぁ、どうする(꒪ཫ꒪; )わたし。
すると、クラスの中に「似たような状況」を抱えていると思われる女子が
わたしの他に3名いた。
男子にもチラホラ、ついていけずにぼんやりしている子がいる。
「わたしだけじゃないわ…」
そう思ったら、もう逃げも隠れも後退もしていられないと腹が決まった。
とりあえず、同じクラスの
この子たちと毎日補習を受けよう。
地獄からの脱出を掛け
わたしは18年の人生で、初めて「必死に勉強」を始めたのだ…続きを読む
渡辺美里「My Revolution」(1986)
当時、通学の道のりで
渡辺美里の「My Revolution」を聴きながら
自らを鼓舞していた日々でした。
あれほど…勉強してきていない私が、勉強に取り組む!
まさに、自分自身に革命を起こすための道でした。
TORIA (o ̄∇ ̄)/