過重労働ブラックジャー
ブラックジャー レッド!
ブラックジャー ブルー!
ブラックジャー ピンク!
ブラックジャー グリーン!
ブラックジャー イエロー!
ブラックジャー ブラック!
※この物語はフィクションであり、
ブラックジャー レッド!
ブラックジャー ブルー!
ブラックジャー ピンク!
ブラックジャー グリーン!
ブラックジャー イエロー!
ブラックジャー ブラック!
※この物語はフィクションであり、
実在の人物・団体・事件とは一切関係ありません。
私「仕事キツい!」
友「当然じゃん。あそこブラックで有名だよ」
大学7年間、就職浪人2年半、そしてようやく学習塾に入社した。
大学で研究畑を目指していたので、
まさか自分が塾講師になるなんて思ってもいなかった。
話すのは下手の下手で、接客業は一番避けていた。
中小企業説明会で中学の時に通っていた塾の募集を見た。
もう入れるならどこでも良かったのかもしれない。
それくらい就活で精神を摩耗していた。
ようやく決まった仕事。
拾ってくれた会社に感謝、そして新天地に燃えた。
就業時間は13:00~21:00。
自宅への終バスで帰ることができる。
それでソコソコ給料を貰える。
鐵道研究会の仲間に話したら羨ましがられた。
でも、それは最初だけだった。
22:00、23:00、23:30。どんどん遅くなる退社時間。
終バスは間に合わなくなり軽自動車を買った。
3年目からの高校部門配属とともに始業が10:00になった。
さすがにドン引き、体力が心配。
そこから週1日の休日は体力回復に使うことになる。
特に講習前は地獄だった。
チラシマキ、ポスターハリ、模試の採点。
場合によっては学校に07:00にスタンバイ。
私は初心者のため過疎地に配置になった。
一番ヤバかったのは最後の春。
チラシマキが終わって会社に行こうと運転していたら、
何度も反対車線を走っていた。
このままでは死ぬ。命を大事に。
幸いなのか不幸なのか身体より先に精神的にダメになった。
仕事中の記憶が抜け落ちることが沢山。
最後はボロ雑巾メンタルになった。
よく今も生きているものだと感心する。
次回からシリーズものとして、
過重労働ブラックジャーの仲間たちを紹介する。