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Cafetalk Tutor's Column

Toria 講師のコラム

カボチャが跳ねる夜

今週のテーマ: 好きなカボチャ料理は?

2022年10月17日


好きなカボチャ料理と言えば

オーソドックスな、和風のカボチャの煮物。
でも、それには一言

お母さんの

という言葉が付く。

お母さんのカボチャ煮・おかあさんのカレー・お母さんのお稲荷さん。

お母さんが作った「あの味」が食べたい
 ( ˃ ˂ ).

あれは、カナダにやって来て1年が経とうとしていた冬のこと。
一人暮らしを始めて、慣れぬ自炊を始めた。

ふと、母のカボチャ煮が懐かしくなり
ストアで見かけた
緑色のカボチャを手に取った。

どうも日本のカボチャとは、ちと形状がちがうようだけど
まぁ~これでいいか!と
夕暮れ時
1
個のカボチャを手に、いそいそと家路に着く。

31歳で初めて、料理をするために”カボチャと対峙”。
さて!切ろう!!
料理の「り」の字も知らぬ頃
固いカボチャに、ただただ包丁の刃を立てた。

どうにもこうにも、切れない・刃が立たぬ。
しかも、電子レンジがまだ部屋にはなかった。
それでも、何とかして
このカボチャを切りたい、割りたいと奮闘
(;)

最後は、トンカチまで出る始末。

しかし、そのカボチャは全く割れぬ。

どうしたものかと考えた挙句~
Toria
が起こした行動は
住んでる2階の窓から、カボチャを落とすコト。

これだけ固いカボチャである。
ピキっ!とヒビが入るか

気持ちよいほどに、半分に割れるか
グシャリ~と潰れる事は、決してない!と大確信であった。


さぁ~!意を決して、カボチャを窓から投げた~~~。

カボチャは

なんと!ゴム毬のようにトントンと弾みながら、アパートメントが建つ敷地内を出て
道路を渡っていく。
どんどん、視界から遠ざかっていく”カボチャの姿”。
まるで、私を嘲笑っているかのようだった。

その時のToriaの顔は

(°°) ぽか~ん

もう、そのまま知らバックレようかと思ったが
いやいやとりあえず回収に行かねば
外に出て、通りを渡った。

カボチャは歩道の真ん中に鎮座している。

それを、私は急いで拾い上げると
辺りを見回した。
カナダの地で、跳ねるカボチャを追う東洋人~。
こんな姿を見られては恥ずかしいと、小脇にカボチャを抱え
急いで家路に着いた。

切れぬカボチャ
跳ねるカボチャ
それを追う、私。
どう見ても、マヌケである・・・。

部屋に入ると、わたしは可笑しくて一人笑った。

まるで、ハロウィンのカボチャ
ジャック オ ランタンのように。

あの日から20年余りの年月が経った。
だが、あれ以来

わたしはカボチャを買った事がない
(;)

 


Steely Dan - Do It Again(1972)

結局、そのカボチャは割れぬまま…
食べ物を粗末にしちゃいけない!と思いながらも捨てた記憶が。

あれは、呪いのカボチャか
カボチャの形状の毬だったんじゃないかと
今でも思っている。

TORIA (o ̄∇ ̄)/

本コラムは、講師個人の立場で掲載されたものです。
コラムに記載されている意見は、講師個人のものであり、カフェトークを代表する見解ではありません。

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