誰かの何気ない言葉に心がざわついたり、
理不尽な態度に怒りが込み上げたり、
思い通りにいかない出来事に不安になったり——
日々さまざまな場面で「心が揺れる」・・・
その解決策を探していませんか?
こんにちは!エンパワLabo、氣功師の有岐です。
優しさゆえに、自分をすり減らしていませんか?
人に優しくするのは得意なのに、自分を大切にするのは苦手。
いつも自分をディスカウントしてしまう。
——そんなあなたに、読んでほしい話があります。
自分を責めずに、他人にも振り回されない。
この記事では、明日から使えて人生を変えていく方法についてお話しします。
今回は・・・
「心が揺れるとき、認知バイアスIQが試される」
——「いい人」であることの罠に気づく
♡本日のトピック♡
1.「いい人」でいようとする人ほど、心が揺れやすい
2.「いい人」でいることは、本当に優しさ?
3.自分を犠牲にすることで、愛されようとしていないか?
4.「他人軸」で生きる人が見落としていること
5.じゃあ、どうすれば?
◆「いい人」でいようとする人ほど、心が揺れやすい
たとえば——
「私はいい人でいたい」「ちゃんとした人と思われたい」
そう願って、他人の期待に応えようと頑張ってきた人ほど、
心が乱れやすいという事実に気づいているでしょうか?
こんな事、思い当たりませんか?
・頼まれたら断れない
・傷つけたくなくて自分を抑えてしまう
・いつも“察して”人に合わせてしまう
これらは、一見すると優しさや思いやりに見えるかもしれません。
でもその裏には、「嫌われたくない」「認められたい」「必要とされたい」
そんな、“承認欲求”というバイアスが隠れていることが少なくないのです。
そして・・・
このバイアスに気づかないまま生きていると、どうなると思いますか?
気がつけば「搾取される側」「自分を犠牲にする側」になってしまうことも。
目の前にいる、「自分を受け入れてくれそうな人」「自分の人生を変えてくれそうな人」
その人に自分を認めてもらおうと過度な期待をして、その為に大きな対価を払っていませんか?
お金、時間、行動・・・自分を無理してまで差し出していませんか?
その結果、その差し出した対価は報われていますか?
人には「与える人=giver」と「搾取する人=taker」のタイプがあります。
「taker(テイカー)」とは、他者との関係の中で「自分が得ること」に重きを置く人のことです。
●Takerを見抜く20のチェックリスト
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こちらの時間や労力を当然のように求めてくる
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自分の話ばかりで、こちらの話を深く聞こうとしない
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お願いごとに「感謝」はあっても「配慮」がない
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断ると不機嫌になったり、被害者ぶる傾向がある
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「自分の価値観=正しさ」として押しつけてくる
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“見返り”を求めるような言動がにじむ
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都合のいいときだけ連絡してくる
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こちらの限界や気持ちを軽く扱う発言が多い
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誰かの評価を比較してよく話す
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「あなただけだよ。他に人には内緒だよ。」
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話すといつも“疲れ”が残る
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悩みを話すと、いつの間にか“自分の話”にすり替えられる
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「私が悪いのかな…」と思わされる関わりが多い
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“謝ること”が少ない(または全くない)
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「助けてあげてる」感を出してくる
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どこか“損得”で人間関係を見ているように感じる
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「人のため」が口ぐせだが、“本心”が見えない
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「あなたならわかってくれるよね」と感情の荷物を預けてくる
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意見を言いにくい“空気”をつくる
-
境界線(バウンダリー)を自然に越えてくる
Takerの言葉は、“やさしさ”をうまく利用してくることが多いんです。
だからこそ、自分の感覚を信じて、「ん?」と思ったら一呼吸。
やわらかく、でも境界線はしっかりと伝えていきましょう。
優しさを大事にする人ほど「断ること」に罪悪感を持ちやすいけれど、
本当の優しさは“自分をすり減らさないこと”から始まるのです。
あなたの時間、感情、エネルギーは限りあるもの。
takerに無自覚に奪われないよう、まずは「自分を守る知識」を備えてくださいね。
「私はいい人でいたい」と思う人ほど、つい他人の期待に応えようとしがちです。
頼まれると断れない。嫌われたくない。裏切りたくない。
でもその優しさは、時に“自分を捨てること”と紙一重になります。
気づけば、自分の気持ちよりも相手の顔色を優先し、
心や体をすり減らしながら尽くしてしまう。
もっと言えば、それは「自分を守るための戦略」でもあります。評価されたい、嫌われたくない、拒絶されたくない。だから自分の意思や直感を押し殺して、他人の価値観に合わせてしまうのです。
けれど、その「いい人」が実は認知バイアスに最も脆弱であるという現実に気づいているでしょうか?
例えば、恋人に多額のお金を使ったり、自分の生活を犠牲にしたりしても、
「相手のためなら」と、自分に言い聞かせてしまう。
でも、それは本当に“相手のため”なんでしょうか?
それは優しさのように見えて、実は自己認知の歪みを抱えやすい状態なのです。
なぜそれが起きるのか?
それは「見返りを期待しない純粋な愛」と思い込んでいても、実際には“認められたい”という承認欲求がバイアスとして働いているのです。
そして、そのバイアスに気づけない人は、巧みに設計された罠に自ら進んで飛び込み、結果的に「搾取される側」に回ってしまうんです。
これは、日本人の多くの人が持つ傾向と言ってもいいかもしれません。
だからこそ、最も脆弱な「承認欲求」を刺激するビジネスが横行しているとも言えます。
だからこそ、周りに踊らされることが無いように知識で自分を守る事が大切です。
◆ 自分を犠牲にすることで、愛されようとしていないか?
そうしなければ愛されない、価値がないと思っているのは、
他の誰でもなく、自分自身かもしれません。
それは「優しさ」ではなく、「自己認知の歪み」です。
そして、そうした歪みに気づけないまま、
何度も同じパターンにハマってしまう状態こそ——
“認知バイアスIQの低さ=社会の弱者”になってしまう原因なんです。
◆「他人軸」で生きる人が見落としていること
“他人軸”で生きる人は、自分の意思よりも
「どう思われるか」「どう見られるか」を最優先にしてしまいがちです。
一見、空気を読めていて優しい人。
でも、その裏には「自分の本音を隠して生きる苦しさ」が隠れています。
これは、他人軸で生きてしまっている証拠。
本当の「頭の悪さ」とは、偏見や思い込みを“自分の考え”と勘違いし、バイアスに気づけないまま何度も同じ罠にはまる状態です。
だからこそ、認知バイアスIQが低い人は、詐欺やモラハラ、洗脳に引っかかりやすく、社会的弱者にもなりやすいのです。
つまり、感情に振り回されるのは、頭が悪いからではない。
よく、「もっと賢くなりたい」と言う人がいます。
でも、本当の「賢さ」とは、知識の量ではなく、バイアスを見抜く力です。
いくら論理的思考力があっても、
自分の中の「思い込み」や「正しさ」に無自覚なまま突き進んでしまえば、
人間関係で何度も同じパターンを繰り返し、人生の選択を誤りやすくなってしまいます。
ちょっと過去の選択を思い返してみて下さい。
選択の先の未来の責任を自分の「直感」ではなく、目の前にいた相手の言葉に期待して選択していた時、結果はどうでしたか?
「認知バイアスIQが低い」とは、気づかぬうちに感情と偏見に操られ、
無意識に“間違った現実”を信じてしまう状態なのです。
◆じゃあ、どうすれば?
さあ、ここからです。
人生は選択の連続。自分の選択に責任を持つにはそれを決める「駒を進める兵法」が必要です。
人生をチートで生きれるかどうかは攻略本が必要なのです。
——“考える力”を分けて捉えること。
感情に流されず、冷静に物事を判断できる力。
それは、「知識」や「IQの高さ」ではなく——
合理的知性(Rational Intelligence)というものが必須なのです。
これが私は人生で一番大きな「学校では教えない」知るべき知識だと思っています。
社会で成功している人、上手くいく人は、必ずこれを基礎にして行動しています。
逆に社会弱者、同じ所から動けない原因は、これを知らず情報やルール、お金に振り回されていると言えます。
実は、人間の「知性」には2つの働きがあります。
アルゴリズム知性 vs 合理的知性
ひとつは、計算や記憶、テストの点数などに直結する、アルゴリズム知性。
いわば、頭の回転の速さや処理能力といった“作業用の知能”です。
言われた事を効率的にこなして結果を出す、「テストで点数を取る」能力です。
もうひとつは、感情や思い込みに流されず、
バランスの取れた判断をするための合理的知性。
「自分の思考は本当に正しいのか?」と立ち止まり、
視点を切り替えたり、問いを再構築したりする“選択の知能”です。
物事の背景や全体像を見渡し、長期的視点から選択を行う「思慮深さ」や「自己制御力」ともいえます。
◆「賢いのに、なぜ人生がうまくいかないのか?」
たとえば、学校のテストは得意。仕事も論理的にこなせる。
けれど、人間関係になるといつもつまずく。なぜか疲れる、孤独になる――。
こういう人、あなたの周りにもいませんか?
あるいは、これを読んでいるあなた自身が、そう感じているかもしれません。
これは、「頭が悪い」のではなく、使っている知性の種類が偏っていることが原因です。
アルゴリズム知性の限界——「早く、正しく、でも浅く」
アルゴリズム知性とは、簡単に言えば「処理速度」と「正確さ」に特化した能力。
プログラムやルールに従って、物事を効率よく処理する。
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問題が与えられれば、正解を導き出せる
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データを分析し、選択肢を比較し、最適解を出せる
-
手順通りに進めるのは得意
これらは学校教育や社会の中で「賢い」と評価されやすい能力です。
でも人生って、そもそも「問題がはっきりしていない」ことの連続なんですよね。
現実の社会は・・
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「この人にどう接したらいいか分からない」
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「何が正解なのか分からない」
-
「やってみないと結果が出ない」
-
「自分の気持ちすら整理できない」
こんな曖昧な状況には、決められた手順やルールだけでは対応できないのです。
むしろ、アルゴリズム知性が高い人ほど、「正解が見えない不確実さ」に弱く、
焦り、不安、自己否定に陥りやすいのです。
合理的知性とは——「問いそのものを見直す力」
対して、合理的知性は「考え方を考える力」とも言えます。
つまり、ある問題に出会ったときに、その前提や視点を柔軟に見直す力です。
合理的知性が働いている人は、こんなふうに思考します:
-
「私がイライラしてるのは、相手のせいじゃなくて、自分の期待のせいかもしれない」
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「今のこの問い、“どうすれば嫌われないか”じゃなくて、“自分はどうありたいか”に変えたほうがよさそうだ」
-
「相手の言葉に傷ついたけど、あれは相手自身の課題でもあるのかも」
このように、“自分の認知(見方)そのものを見直す”ことができるのが、合理的知性です。
それは、自分の中にある偏見や思い込み(=認知バイアス)にも気づけるということ。合理的知性が高まると、人生に起こるさまざまな感情的な揺らぎや、対人トラブルに対して、
「反応」ではなく、「選択」をすることができるようになります。
現代は、情報が多すぎて、正解がどこにあるか分からない時代です。
SNS、ニュース、自己啓発、科学、スピリチュアル……さまざまな視点が飛び交い、
誰もが「自分こそ正しい」と主張しています。
そんなとき、アルゴリズム知性だけで生きると、“最も強く見える意見”に従ってしまう危険性がある事を知ってください。
詐欺、洗脳、モラハラ、自己否定……すべては、自分の思考の前提を疑えないことから始まるのです。
合理的知性は、こうした「自分の土台となる考え方や視点」をメタ的に捉え直す力。
つまり、「これは本当に自分の考えか?」「別の見方はないか?」と問い続ける力です。
この力こそが、他人の期待や支配に巻き込まれず、
自分自身の人生のハンドルを握り直すために必要なのです。
合理的知性を持つというのは、完璧になることではありません。
むしろ、「迷ってもいい」「揺れてもいい」と自分を許しながら、
それでも“ちゃんと自分の足で歩いていく”という姿勢を選び直す力。
そんな柔らかな強さが、人生を静かに変えていくのです
正しく生きようとするほど、苦しくなるときがある。
完璧を目指すより、不器用でも“自分で選んだ道”でいきませんか?
最後まで読んで頂き、ありがとうございました。また次回!
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