「愛されたい」「特別だと感じたい」ホントは「生きていいよ」って言ってほしかったーー承認ビジネス

Yuki.Kyoto

今日はこんな言葉から始めさせてください。

 

誰かに心を開いたとき、
「この人は自分を裏切らないだろう」と思って信じたのに、
気づいたら一人きりになっていた──
そんな経験、ありませんか?

 

“愛されること”が、生きることそのものだった。
誰かがそばにいることで、やっと自分の形が保てる気がしていた。

でも、ある日その人がいなくなったとき、
自分が自分でいられなくなるような、
そんな深い孤独に包まれたことがないでしょうか?

 

「大丈夫」と口ではいっても、全然大丈夫じゃない夜。
誰かの一言で、全部が崩れてしまうような瞬間がある。

そんなとき、心の奥でひそかにささやいていませんか?
「私は必要とされていないのかもしれない」って。


 

それは、あなたが弱いからじゃなくて、
ちゃんと人を信じてきたから。
ちゃんと愛してきたからこそ、その痛みを知ってるんだと思うんです。

 

もし今、そんな想いを抱えていたら──
少しだけ、ここで一緒に心をほどいてみませんか?

 

 

 

こんにちは。エンパワラボ 氣功師の有岐です。

 

私たちは幼い頃から「世界への不信」や「自分の存在否定の記憶」を心の内側に抱えています。

これは「見捨てられた傷」と心理学で言われる、魂のいちばん奥底に残る「感覚」です。

 

それは

―― 「私はこの世界にいてはいけないかもしれない」 「誰にも必要とされていないかもしれない」 

そんな思いが、自己肯定感や私達の「生きる意欲」にまで影響するものなんです。

 

このような感情って、論理的な頭では実感できないものだと思うんです。

“言葉になる前の苦しみ”“誰にも説明できない心の揺らぎ”・・・

そんな不安や孤独として心に根を張るのではないでしょうか。

 

 

「愛されたい渇望」や、人とのつながりの中での「自分の存在証明」、そういった人の苦しみの根源となるものが「見捨てられた傷」と言われる心の影です

 

 

“愛されたい”“見捨てられたくない”“安心したい”といった、

生きることそのものに関わるこころの叫びです。

 

 

きっと「今」、このブログを読んで下さっているあなたは、
「条件付きの自分しか愛されない」と感じていませんか?

 

またはそんな相手を、それでも「それでもなお愛そう」としてきた。
それが、どんなに苦しくても、どんなに裏切られたように感じても、
なおそこに居続けようとした――

そんな経験があるのかもしれません。

 

私自身が、大きな「見捨てられる傷」を持っていました。

心理学では、子どもが育つ過程で、自分が何をしても、
泣いても、できなくても、ダメでも――
「あなたはここに居ていいよ」と無条件で受け入れてもらう体験は、
「私は生きていてもいいんだ」という“存在の土台”になる、そういいます。

この体験があれば、人は他人から拒絶されても、
「それでも私は価値がある」と感じることができる、そう言います。

 

でも本当の現実は、理想通りにいくでしょうか?

実際は物語のような理想的な状態は難しいように思います。

 

私は小さい頃から「評価・成果・期待への応答が“愛の条件”」だと信じていました。でも、頑張れば頑張るほどうまくいかず、かといって他の方法を知るすべもありませんでした。

その結果、どうなったか・・・

孤独にボロボロになって、

「もうこれ以上頑張れない、もう消えてなくなってしまえれば・・・」と何度も思ったことがありました。

 

そんな私だからきっと、「今」あなたに伝えられることがあるんじゃないかと思うんです。

 

 

土台が育たなかった場合――
たとえば、「評価・成果・期待に応える事」が“愛の条件”になっていたり、
深いところで孤独や否定を感じたまま大人になった場合、
 

「愛されていること」=「生きている価値の証明」になってしまうのです。

 

 

人が誰でも持っている、最も大きな心の傷「見捨てられる傷」。

 

それには、2つの事が大きく関係しています。

それは、「愛=受け入れられたい」と「承認=存在を認めてもらいたい」という渇望。

 

 

私たちは「無条件に認めてもらいたい」という渇望を抱えています。

無意識に私達は、その“心の空白”を埋める方法を探しているのです。

 

 

☘️☘️☘️

「見捨ての傷」を持つ人にとって、愛されることが“生きる許可証”です。

 

今日は、そんなあなたが、“人気商売”の世界にいると何が起きる可能性があるのか少し話させてください。

 

 

 

見捨ての傷を抱えた人が“人気商売”をすると、何が起きるのか?

 

見捨ての傷を抱える人にとって、「愛されること」は単なる喜びではなく、自分が存在している“根拠”です。

 

そして「承認がすべての世界」は、「誰かに愛され、選ばれ、必要とされている」という実感を、登録者数、売上・指名・LINE・リピートといった“数字”で得る場所です。

 

つまり、お金や売上、登録者数という「数字」が、「自分は愛されている」「自分には価値がある」という実感そのものになるのです。

 

だから、客(支援者)が増えた日は「生きていていい」という肯定感に包まれますが、
数が落ちたり、客の態度が冷たくなると、すぐに「見捨てられた」という記憶のスイッチが入ってしまいます。
 

この感覚は、単に気分が落ち込むのではなく、「存在が崩れていく感覚」に近いものです。

 

・数字=自己価値
・売上が上がる=愛されている
・売上が落ちる=価値がなくなる

 

この構造にハマると、「数字が出ない=存在否定」という偏った見方が本人の中で生まれます。
すると、たとえ疲れていても、無理に笑って、無理に合わせて、無理に盛り上げて...自分を“仮面の人格”として差し出すようになります。
 

これが続くとどうなると思いますか?

 

「本当の自分では愛されない」「素の自分は迷惑なんだ」

そういった感覚がどんどん強まっていき、自分自身に対しての「信頼」が削られていくんです。

 

 

承認欲求の麻薬化

 

そういった仕事では、「自分が価値を与える側」であるように見えますが、実は深層では「承認してもらうために自分を提供する側」になっています。

 

つまり、自分が相手を満たすことで、自分の価値を確認しているのです。
だから、どんなに疲れていても、お客に笑顔で応じて、演じて、サービスをする。
でもそれは、無理して自分を維持するという“代償付きの愛”です。

これが続くと、心の中には「本当の自分では愛されない」「気を抜いたら見捨てられる」という恐怖が染みついていきます。
つまり、仕事中だけでなく、オフの時間でも気が抜けなくなる。
 

LINEの通知が来ない、返信が遅い・・・

それだけで「やっぱりダメなんだ」「嫌われたかも」と、急激に心が不安定になる。
 

これは、承認が“麻薬”のようになっている状態です。

 

 

 

 

 相手との“共依存”構造

そんな相手との関係は、互いの承認欲求や寂しさ、依存心を満たし合う「共依存」になりやすいビジネスの仕組みになっています。
 

相手は「私を見てほしい」「優しくしてほしい」「存在意義を認めてほしい」という欲求でお金を使い、
こちらはその見返りに「自分には価値がある」と感じる。

でも、共依存関係には必ず「終わり」があります。
 

相手が他に移れば、「見捨てられた」という強烈な喪失を感じるんです。
「自分が頑張ったのに」「あんなに尽くしたのに」→「やっぱり自分なんかじゃダメだった」という痛み。

「また裏切られた」「やっぱり自分はダメなんだ」そういう傷がまた繰り返されてしまうんです。
 

 

 

 自己回復の時間が奪われる
 

人気商売は、昼夜逆転、アルコール、人間関係のプレッシャー、睡眠不足、SNSでの過剰なつながりなど、「自分に戻る時間」がほとんどない生活が多いのではないでしょうか。
 

それは、自分の中にある「傷」を癒すために本当に必要な、“安全で静かな時間”を結果、奪っていきます。
つまり、自己修復するチャンスそのものが持てないのです。

 

けれどその世界には、その静けさが許されない。

だから、自分の軸が育つ前に、承認の波にさらされ続けることになります。


そんな毎日がずっと続くと、心は「限界を超える時」が来ます。
 

どこかで限界がきたとき、自分を保てずに「消えたい」「全部終わらせたい」と感じる危険が高くなってしまうんです。

 

 

 抜け出す勇気が持てない構造
 

他にも道がたくさんあると人は言います。

でも、そんな簡単じゃなかったりする。

今まで積み上げてきた自分なりの自負があって、また「今さら1からやるのがめんどくさい」と思うのはは当然なことです。

 

でもゆっくり本当の自分の心の奥底を、あなたが子供の時に戻った気持ちで覗いてみて下さい。
「自分には他の生き方ができる自信がない」「自分には他に通用する場所が外にはない」「今の場所以外では必要とされないかもしれない」という恐れを感じているかもしれません。

 

「ここでダメなら、もう自分には価値がないかもしれない」そんな不安が、“抜ける”選択肢を見えなくしているかもしれません。

もしかして、そこしか居場所を知らないのかもしれない。
だから、心では「もう疲れた」と思っていても、結局戻ってしまう。
そして戻るたびに、また傷が開き、自己否定が強まる・・・・

 

 

             

見捨ての傷は、誰か特別な人だけのものではなく、
私たち人間が「社会的な存在」である限り、誰もが持っている共通の深い痛みです。

 

「あなたにはもう、価値がない」

「君はいらない存在なんだ」

 

そう言われたような体験や記憶が心の奥に残っていると、
人は生き延びるために、「誰かにとって必要な自分」を必死に演じます。

 

でも、その演じた“必要な自分”は、
「本当の自分」ではないからこそ、どれだけ認められても安心できないんです
 

 

どれだけ愛されても、“足りない”と感じてしまう。
だからこそ、見捨ての傷を抱えた人の心は、外の世界に認められることを「命綱」としてしまうんですよね。

 

 

あなたの無意識の中に押し込んでいる「心の叫び」

ギューと固くなっている、紐の結び目、

一緒に少しずつほどいてみませんか?

 

「魂セッション」では、120分、ゆっくりとお話を伺って、心の「影」、漠然とした苦しみの根源を紐解きませんか?

 

本日も最後まで読んで頂き、ありがとうございました。
氣功師の有岐でした。

 

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This column was published by the author in their personal capacity.
The opinions expressed in this column are the author's own and do not reflect the view of Cafetalk.

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