本番に強い、弱い、よく耳や目にします。
これは、本番における自分のパフォーマンスについて、
「強い、弱い」と自覚した経験を持つ人がわかる表現です。
単純にいうと、うまくいったか、うまくいってないか、です。
じゃあ、パフォーマンス上、何がうまくいったのか、何がうまくいかなかったのか。
その基準は何なんでしょう?
いろんな人がいると思います。
ピッチを間違えずに弾けた
リズムを間違えずに弾けた
相手とズレずに弾けた
このように〜否定形で言いがちな基準もあれば、
次のような基準の人もいます。
相手の変化にその場で対応できた
なんとかギリギリのところで閃いた
弾きながら初めてきづくことがあった
おそらくなんですが、多くの人が
本番に強い、弱い、という表現を使いがちなのは
「〜否定形で言いがちな基準」、
外に対して恥ずかしくないか、
すごく失礼な感じの表現をすれば、
ドシロウトがわかるミスをしていないか、
緊張しているのがみてとれるんじゃないか、
自分の外に対してのプライド、でしょう。
こういうことは、考えないのが一番です。
こうありたい、こうしたい、というお手本、見本が
具体的にあるほどそうなりがちです。
先生が弾いた通りに弾きたい〜!
あの人と同じ音色が出したい〜!
こう思われたい〜!
無謀です。
感性、体つき、感覚、経験値、楽器...なにひとつ自分と同じものはないはずです。
どう思われるかなんて気にしても仕方ないです。
どう思うかなんて聴き手の勝手です、ほっておくしかないです。
人間ですから、よくない聴き手もいます笑
憧れることは大事です、それがないと探究はない。
大事なのは、「プロが尊敬するプロ」のような方に聴かれても恥ずかしくない、
素直な取り組みを日頃からしているかどうか、です。
それが道半ばでも全然問題ありません。真摯に向き合っているか、です。
自分なりの様式...楽譜の読み方、楽器の操り方、
楽器を操るための体の使い方、を丁寧に研いでいくことがまず一つ。
自分自身や聴き手、会場の環境、練習の環境、それを取り巻く日常の出来事...
全部ありのままを受け入れること、がもう一つ大事じゃないかと思います。
僕自身は、二つ目は昔からわりとできてましたが、
一つ目ができるようになったのはここ数年です。
誰かの演奏を聴いて、よし、なんとかして同じ音色を出そう、
同じ表現をやってやろう!では掘り下げ方が甘すぎます。
その演奏をそう足らしめているのはなんなのか?
体や楽器の違いを超える要素がなんなのか?を考えていくのが大事です。
自分がバイオリンを再開したころ、舞台の上で足が膝からガクガクして大変でした。
某先生は「ひゃっひゃっひゃっ!もっと震えてみろって思っとりゃあなんでもねぇわ」
「もっと楽しそうに弾かんと!眉間に皺つけて弾いたらあかんぞー」と仰りましたが...
その通りにしたら、もっと震えましたわ...
でも、恥、つまり外へのプライドを捨ててしまえば治ったわけです。
本番に強い、弱いっていうのは大抵の場合、音楽との向き合い方、
楽器との付き合い方が捻れている時に起きるものだと経験上思いますね。
※明らかな練習不足を除く。
明日が発表会だから書いた、のではないです。
そういう不安を商売にしている広告が目にはいって、
イラっとしたので書いてみました笑
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