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カウンセラーのayakoです。
みなさんいかがお過ごしですか。
今日は「助けてくれたから助ける、恩渡し」のお話です。
今年の6月に日本に帰った時の出来事で、大阪にちょうど2泊3日で息子と行っていた時、ユニバーサルスタジオジャパンに行くという目的があって大阪に行ってきたんですけども、その時に電車で移動するという場面がありました。
大阪駅のそばのホテルに泊まっていて、そこから電車で移動するために駅に入り、階段があるところで、若い女の子がとても重そうなスーツケースを階段で運んでいたんですね。
あまりにも大変そうだったので、「お手伝いしましょうか」と声をかけました。日本の方かなと思ったら、たぶん中国の方だったんですね。日本語で声をかけても理解していない様子だったので、「お手伝いするよ」「一緒に持とうね、1・2・3」と英語で声をかけながら、一緒に運んで階段を登りました。
登りきった時に、「ありがとうございます」と日本語で言ってくれて、やっぱりアクセントがあったので日本の方ではなかったと思うんですけど、すごく心のこもった「ありがとう」に、私の方が嬉しくなりました。
こういう経験があると、「声をかけてよかったな」と思えるものですよね。
私自身もインドネシアに住んでいて助けてもらったことがあります。些細なことなんですが、よく思い出す出来事があります。
息子と一緒にスクーターで移動していた時のことです。だんだんスピードが落ちてきて、「あれ?」と思ったら案の定ガス欠。ガソリンが切れてしまったんですね。
「ごめんごめん」と息子に言いながらも、幸いにも数メートル先にガソリンスタンドが見えていたので、「ママ、バイク押してあそこまで行くよ」と息子に伝えて歩いていたら、20代くらいのインドネシアの若い男の子2人組が、後ろからインドネシア語で話しかけてくれました。
細かい言葉は覚えていませんが、「僕たちが後ろから足で押してあげるから、乗ってていいよ」というようなことを言ってくれたんです。
私がバイクにまたがってハンドルを持つと、彼らが後ろから足でバイクの押せるところを使って、ずっと押してくれて、あっという間にガソリンスタンドまで着きました。
私はインドネシア語で「テルマカシ(ありがとう)」を何度も繰り返してお礼を言ったんですが、「じゃあねー」と言ってすぐに去っていきました。
彼らにとっては何気ないことだったかもしれないけど、私は本当に困っていたので、知らない人から助けてもらえたことがとても嬉しくて、今でも印象に残っています。
その体験があったからというわけではないけれど、大阪であの女の子を手伝った時、自然と体が動いた気がします。
こういうのって「恩返し」ではなく「恩渡し」だなと感じています。
あのインドネシアの男の子たちに直接お返しするのではなく、別の誰か困っている人を助ける。
そうやって恩を渡していくことが、この世の中の自然な流れなのかなと思います。
また、日本滞在中にあった出来事ですが、電車やバスでお年寄りに席を譲る場面も多くありますよね。私もバスに乗っていた時に、息子と前後に座っていたんですが、お年寄りの方が乗ってきたので席を譲りました。
その時も「ありがとう」と言っていただいたのですが、降りる時にわざわざ呼び止められて、「本当にありがとう」と感謝の言葉を改めていただきました。
やっぱり人に手を差し伸べて「ありがとう」と言われるのは嬉しいものですし、自分もまた誰かに助けられる機会はきっとあります。
だから、「恩渡し」は特別なこととして意識しすぎなくてもいい。
困っている人がいたら自然に声をかける、自分が助けられたら、その優しさを別の誰かに渡していく。
そんな流れがこの世界にはあるように思います。
これからも、またそんな出会いや体験があるかなと楽しみにしながら過ごしていこうと思います。
今日は「助けてくれたから助ける、恩渡し」のお話でした。
では、またお会いしましょう。
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