こんにちは。
人間形成の場【エンパワLabo】の有岐です。
あなたは自分を「尊重」していますか?
「自分の役割に高い点数をつけていませんか?」
「自分を責めすぎて、到達できない自分を卑下して苦しんでしないですか?」
本日のテーマは「尊重」です。
自分に対して優しい相手を尊ぶのは簡単ですよね。
でも、腹立たしい相手や自分を揺さぶる人を前にしたとき、どうですか?
人をぞんざいに扱う人は、やがて人からも同じように扱われます。
尊重は因果の鏡のように働き、
返ってくるものなのです。
逆に、尊重を実践する人は、自らも尊重されるようになります。
尊重は「相手にただ従うこと」ではありません。
まずは自分自身をぞんざいにしないで、自分を「尊ぶ」ことが出発点になります。
自分責めを手放していくと、大きな変化が内側で起こってきますよ。
そして・・・自分を尊重できるようになると、
相手との適切な距離感が見えてきて、人間関係も自然に整ってくるんです。
すると・・・
「運」も「縁」も不思議と流れ込んできます。
運や縁の最強の「磁場」を作り出すことができるのは、「自分」なのです。
そして、大いなる創造のエネルギーは、それに同調して回り始めるんです。
それは、自己実現をしている人が知っている「法則」です。
自分を「尊重」するとは、自分勝手に欲のままに行動するという事じゃないですよ。
「自分の心の声」を聴くという行為です。
誰かが、あなたに対して「やって欲しい事」を感じたとします。
言葉で直接頼まれてはいません。
その相手は子供だったり、パートナだったり、会社の同僚だったり・・・
もし、そんな時に「相手が望むことをする事で、自分は尊重されるかもしれない。」
そう思って、頼まれてもいないことをやるとしましょう。
それは自分を尊重する行為でしょうか?
それは、「誰か」があなたを尊重するかもしれないからする、
「条件付け」の尊重を求める行為。
もうあなたは知っているはず。
そんな時、相手はあなたが期待したように、あなたは「尊重」されるでしょうか?
いいえ。いつもその期待は裏切られていたはずです。
他者があなたを尊重するかもしれない、だから動く。
その「尊重」の軸は誰が持っていますか?
相手です。
相手が主導権を持っている状態です。
✨✨
自分を「尊重」するとは、自分がいつも「軸」をもって
「自分の心の声を聴く」という行為なんです。
あなたが「ご機嫌」でいる。
いつもいつも。
隣にいる他の人の不機嫌や責任は、「誰の問題」ですか?
あなたのではないですよね?
じゃあ、放っておいたらいいんです。
解決しようと、説明しようとして、今までそこにどれだけのエネルギーを使っていましたか?
自分を尊重できるようになると、「相手との適切な距離感」が見えてきます。
今まで悩んでいた、「人間関係」がびっくりするほど激変してきますよ。
「相手を尊ぶは、己を尊ぶなり」
これは、禅の言葉です。
2人の対話を使って、私なりに書いてみたいと思います。
Aさん「人を尊重するとは、どのようにすることですか?」
Bさん「己の声を静め、相手の声を聴くことだ。」
己の声を静める?
相手の声を聴く?
それってどういうことでしょう。
人を尊重することは、言葉で「すごいね!」と褒める事じゃないんです。
それは、まず自分の中で響いている「己の声」を静めることから始まります。
ここでいう己の声とは、
「こう思われたい」
「自分の意見を通したい」
「相手を批判したい」
といった、心のざわめきです。
このざわめきが強いとき、私たちは本当には相手の声を聴いていません。
相手の言葉を遮り、自分のフィルターで解釈し、都合よく判断してしまいます。
「判断=ジャッジ」ああだこうだと「脳」が主観を検索しています。
これでは尊重どころか、
相手を自分の思い通りに扱おうとしているにすぎないですよね。
そこで大切なのが、「己の声を静める」ということです。
止観行(しかんぎょう)という言葉をご存じですか?
止観行の「止」は、心の動きをいったん止め、落ち着かせること。
そして「観」は、その落ち着きの中で相手をありのままに観じることです。
つまり・・・
人を尊重するとは、【自分を空にし、相手をそのまま受け止める姿勢】です。
相手も自分と同じように、日々葛藤したり、悩んだりしているはず・・・
その人なりの経験の中で、なんとかかんとか「自分が信じる正しさ」を軸にして生きているんです。
それって、自分だってそうだから。
言葉や宗教、生活環境のバックグラウンドで、人が持つ「正しさ」はそれぞれ全く違って当たり前です。
私が持つ「正しさ」と相手が持つ「正しさ」は、ただ違うだけ。
違うだけなんです。
【自分を空にし、相手をそのまま受け止める姿勢】とは、
そこには、評価も裁きもなく、ただ「聴く」という行為だけです。
相手の「正しさ」に白も黒もつける必要がないんです。
共感も反論も反応です。
つまり何でもかんでも「反応」する必要はないんです。
「ふんふん、そうだったんやね。」と、
この静けさの中で相手の声を聴くとき、
「尊重」は自然に立ち現れます。
それは無理に示そうとする態度ではなく、心の静まりからにじみ出るようなものだと言えばいいでしょうか。
「尊重」は・・・
相手に従うことではなく、自分を失わずに相手を認める態度。
「静かながら、揺らがぬ自分軸」で相手に関わることです。
最後に、インナーチャイルドの観点からの解説してみようと思います
「その心を尊重せよ。否定せず、ただ見よ」
私たちは、自分を尊重できない気持ちが湧いてくると、つい
「こんな自分はダメだ」と自分を責めてしまいます。
しかし、大切なのは否定せず、ただその心を見つめることです。
インナーチャイルドワークでは、怒りや嫉妬、反発心の奥に
「幼い頃の傷ついた自分」「認めてもらえなかった自分」
が潜んでいると考えます。
尊重できない気持ちを無理に抑え込まずに、そのインナーチャイルドの声を聞いてみて下さい。
逆に、「ああ、私は今こんなふうに反応しているんだ」と静かに見つめること。
それが、「ありのままの内面を抱きしめる」実践になります。
つまり、
尊重は相手に向けるだけでなく、
自分の中にいる小さな自分を尊重することから始まるんです。
そんな受容が始まると、自分も他人も同じ「尊ばれる存在」なんやなあ・・・
そう感じ始める事ができると思うんです。
今、世の中は平然とおかしい事ばかりが起こっているように感じませんか?
戦争や、移民、政治、人をモノとして扱う世界・・・
その原因は、色々あると思いますが、
根本は「尊重」が人になくなったからだと感じるんです。
大和の日本人が持っている、「人を尊ぶ」という事。
本日も最後まで読んで頂き、ありがとうございました。
氣功師の有岐でした。
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