今日は学校でアトウッド・スタディー(Attwood Study)について知りました。
モーツァルトの弟子であった作曲家のトーマス・アトウッド(1765ー1838)がモーツァルトの元で学んだ際の学習の記録のことで、モーツァルトが弟子に出していた課題や、それに対するモーツァルトの評価などが記載されており、当時の作曲家がどのように音楽理論を勉強して作曲に進んでいったかということを知ることができる資料です。
そこには音階や音程といった楽典的な知識から、対位法の課題、通奏低音の課題など、今でも一般的に学習されている音楽理論の課題が含まれています。モーツァルトはアトウッドに対し、対位法は「1年間は熱心に練習するように」伝えたそうです。

通奏低音の課題の翻訳版:Mozartによる添削の記録が残っています。
こうした基礎訓練は、モーツァルト自身も父親であるレオポルト・モーツァルト(1719-1787)から伝授され、やはりその記録が残っています。「ナンネルの日記帳」と呼ばれ、ヴォルフガングの姉ナンネルに向けて書かれたその理論書を通じて音楽を学びました。ヴォルフガングが4, 5歳の時に(おそらく父親の助けのもとで)書いた小さなメヌエットなども残っています。
そうした当時の記録というのは、当時の作曲学習の過程を知る上でも貴重なだけでなく、
私たちが学んでいる和声、対位法、形式といった音楽理論が、彼らが学んできたものと地続きにつながっていることを教えてくれる、とても興味深いものです。
よく”理論は後付けに過ぎず、偉大な作曲家は理論など学んでいないのだ”と言われることがあります。
しかし、ベートーヴェンも「朝5時に起き、朝食の前に2時間対位法を勉強する」ように日記に書きつけていたり、ショパンも当時まだ出版されたばかりの、ケルビーニがパリ音楽院院長時代に書いた対位法の本を、わざわざマヨルカ島まで取り寄せようとした記録が残っています。リストはまだ新しかったブライトコプフ&ヘルテル社のバッハ全集をワイマール時代に取り寄せ、フーガのテーマを分析したり、ゼクエンツを分析したりした記録が残っています。
そういった作曲家たちの学習の記録は、”生まれながらの天才”として神格化され、神話的に語られることの多い作曲家についての神話が、ある種やはり神話に過ぎないのだということを教えてくれます。
アトウッド・スタディーは、音楽理論教師としてのモーツァルトの一面を知ることができる興味深い記録でした。
僕はキリスト教について多くを知らないし、キリスト教の文化的体験もごくわずかにしかありませんが、
遠藤周作の「イエスの生涯」を読んだ時、強く印象に残ったのは、
イエスが生きていた当時は、彼は一人の人間であり、彼の言葉は神の言葉ではなく、
人々はそれらを崇めていたのではなく、否定も肯定も可能な対等な人間として、友としての言葉であり、
だからこそ、そこに人々は幻想ではなく、真実を見出すことができたのだ、と膝を打ったことです。
偉大な作曲家たちの音楽もまた、イエスの言葉と同様に、
等身大の友の言葉として聴くことができるのだと思います。
彼らの言葉をそのようなリアリティの中で聴くために、
音楽理論を学ぶのだといっても、まったく過言ではないと思っています。
(そしてそれは僕自身が経験してきた/していることでもあります)
ともあれ、アトウッドはモーツァルトの元で、対位法と通奏低音の練習と、
カノンや弦楽四重奏の作曲を行っていたようです。
僕自身もそれに倣って今日はいくつかのカノンを書いてみました。
あるいは僕の対位法レッスンの中でも、カノンや弦楽四重奏の作曲を取り入れて、
生徒さんと一緒にそれらの作曲に取り組むのも、面白そうだと思いましたが、いかがでしょうか?
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