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【保存版】なぜ感情に振り回されるのか? 「ぐるぐる思考」を止める3つの心の仕組み

Yuki.Kyoto

 

「嫌われている気がする・不安が止まらない正体と抜け出す方法 」

 

こんにちは。エンパワラボの有岐です。

皆様、いかがお過ごしでしょうか。

 

 

本日は、思考や感情に振り回され、心がとどまることなく、
すぐに反応し、動いてしまう……

「嫌われている気がする」
「不安が止まらない」

 

今日は、そんな感情の正体と、そこから抜け出す方法についてのお話です。

最後までゆっくり読んでいただけると幸いです。

 

 

 

 

人の「心の動きを観る方法」は、2500年以上前の古来の仏教において、すでに確立されていました。

 

それは、
「世界が心に触れ、意味が生まれ、動きが起こるまでの流れ」
シンプルに表したものです。

 

外の世界を受け取る「受(じゅ)」
そこに意味づけが起こる「想(そう)」
そして感情や反応として表れる「行(ぎょう)」

 

それは、驚くほど徹底して解明された「心の論理」です。

 

 

人間がどのように出来事を受信し
どのように物語を捏造し
どのように苦しみを自ら作り出すのか・・・

 

 

この方法が、二千年以上たった今も修行の中心にある理由は、
これが思想ではなく、
人間の意識の構造そのものを見抜いた、きわめて実証的なものだったからです。

 

心理学や脳科学が、ようやく言葉にし始めたことを、
ブッダは観察によって、すでに見抜いていたのです。

 

本物は、説明されなくても、ずっとそこに「在り」続けます。

 

受想行は、その代表例だと、私は思っています。

 

 

 

 

 私たちが苦しんでいるのは「事実」ではなく、捏造された物語


心の仕組み「受・想・行」とは?

 

私たちの心は、「受・想・行(じゅ・そう・ぎょう)」という
3つのステップで、世界を処理しています。

 

思考の反芻や感情の渦も、これを理解して、日常で実践していくと、
苦しみの正体が驚くほどクリアに見えてくるようになります。

 

 

 ①「受」とは— 世界が、ただ触れる

私たちの眼・耳・鼻・口・肌は、
自分の内側ではなく、外側を向いて創られています。

 

「受」とは、世界が“私”に触れた瞬間です。
ここには、まだ意味も評価もありません

 

・音が耳に届く。
・言葉が目に入る。
・相手の表情が視界に入る。

 

この段階では、それが「良い」「悪い」「好き」「嫌い」かは、

まだ決まっていません。

受は、「ただ見た・聞いた・感じた」という事実だけです。

 

ここで重要なのは、
受そのものには、苦しみがないということです。

 

 

 

 ②「想」— 心が意味を与える

『ラベル貼りと意味づけ』

 

次の瞬間、心は沈黙に耐えられず、受け取ったものに「意味」を与えます。

これが「想」です。

 

想は、

過去の記憶
・経験
・学習
・防衛反応

 

これらを総動員して、
「これは何か」
「私にとってどういう出来事か」
を決めようとします。

 

これが、「物語を捏造する」という意味です。

 

心には山ほどの引き出しがあり、その意味づけのプロセスは、一瞬で行われます。

だから私たちは、
想が“起きた”ことにすら気づかない。

 

そしてここで、
世界は「事実」から「物語」に変わります。

 

 

その判断は、実は過去の記憶が作り出した単なる「ラベル」なのです。

しかし、苦しみの多くは、
この意味づけが固定された瞬間に始まります。

 

 

 ③「行」— 物語が身体を動かす

感情や行動が生まれる

 

物語が定まると、心と身体は、それに沿って動き始めます。

・胸が締めつけられる。
・心拍が上がる。
・怒りが湧く。
・避けたくなる。
・攻撃したくなる。
・黙り込む。

この反応が「行」です。

 

 

行(心の反応)は、「意志」の結果ではありません。
自分の中で捏造した物語「想」に促された、抗いようのない反応なのです。

 

だから、「感情を抑えよう」としても抑えられないのです。

なぜなら、「行(反応)」は「想(捏造)」の延長として生まれているからです。

 

 

この仕組みを理解するために、例を挙げてみますね。

例えば、上司から報告書のミスを指摘されたとします。

 

まず「受」が起こります。
—事実そのもの、物理的現象です。

 

耳が、上司の言葉という“音”を受信した。
目が、不機嫌そうな表情をとらえた。

ただ、それだけです。

 

そして、「想」が発生します。

想とは、捏造された物語です。
ここが、”苦しみの真犯人”です。

 

 

私たちは「事実」を見た瞬間に、過去の経験やコンプレックスというフィルターを通して、勝手に脳内ストーリーを作り上げます。

小学生の頃、
学校で先生から皆の前で間違いを訂正され、恥ずかしい思いをした。

そのせいで友達からの扱いが変わったり、立場が悪くなった・・・
もし、そんな経験を持っていたとしたら。

 

大人になった現在、上司からミスを指摘されたとき、

過去の経験から得た「こうなる」が発動します。

 

「上司に失望された」
「私は無能だと思われた」
「嫌われた」
「キャリアへの脅威。首になるかも……」

 

 

これらはすべて、
あなたの脳がコンマ数秒で作り上げた「捏造された物語」です。

 

そして、「行」が反応します。

捏造された物語に反応して、感情があふれ出します。

 

「ひどく落ち込む」
「言い訳を考える」
「イライラして周りに当たる」

「恐怖で動けなくなる」……

 

私たちが「苦しい」と感じるとき、

実は、目の前の出来事そのものに苦しんでいるのではありません。

 

その出来事に対して、脳が勝手に書き加えた

「捏造された物語(解釈)」に苦しんでいるのです。


 

 なぜ、受想行を観ることが重要なのか

 

受想行を知らないと、
私たちは「行」の段階で戦ってしまうのです。

 

感情をどうにかしようとし、
行動を正そうとし、
自分を責める。

 

でも、本当に起点になっているのは、「想」なんです。

 

想(捏造された物語)が見えない限り、行(心の反応)は制御不能です。

逆に言えば、
想が見えた瞬間、行は自然に力を失います。

 



 感情に振り回される「犠牲者」から、
心を見つめる「観察者」へ

 

「まず黙ってみる」

 

私がレッスンを始めた生徒さんに、
まずお伝えするのが、

「黙行を実践してみてください」
ということです。

 

人は社会的な生き物である限り、人との関係がなくなることはありません。

 

心が反応したときは、とりあえず口を閉ざし、心の嵐が過ぎ去るのを待つ。

 

静かな中で、目に見えるもの、耳に聞こえるものに、
即座に意味を与えず、

「誰が、何をしているのか」

それだけを、ただ観るようにします

 

 

人は、妄想という「想」のエンジンに、
「言葉」というガソリンを注げば、
一気に燃え上がります。

 

自分の「期待」という色のついたフィルターが、

目の前の現実を塗りつぶしてしまう。

 

すると、「本質」は見えなくなってしまうのです。

 

 

 

感情をどうにかしようとし、行動を正そうとし、自分を責める……

「行(心の反応)」の原因は、外側にはありません。

 

 

心を動かしたのは、

「誰か」や「何か」ではなく、
自分が捏造した物語「想」こそが、心を反応させている原因なのです。

 

 

私たちは、「事実」ではなく「解釈」の世界を生きている
と気づくこと。

 

先ほどの例で言えば、

「あ、今私、『自分は価値がない人間だ』という勝手な解釈をつけたな・・・」

「評価への脅威を感じて、『首になるかもしれない』とラベルを貼ったな・・・」

 

 

そう気づくだけで、そこに「隙間」が生まれます。

隙間さえあれば、あなたは選ぶことができるのです。

 

「この指摘は、単に資料を良くするためのアドバイスとして受け取ろう」

そうやって、解釈を再構築することができるのです。

 

 

苦しみは、出来事そのものにあるのではありません。

あなたがそこに貼り付けた「ラベル」の中にあるのです。

 

 

最後に、ひとつだけお伝えしたいことがあります。

 

心の動きを「観よう」とすると、それ自体がしんどく感じられることがあります。
頑張って見つめようとするほど、かえって心が緊張してしまうこともあるでしょう。

 

でも、心は本来、無理に分析して理解するものではないと、私は思っています。

 

派手なことをしなくても、特別な修行をしなくても、
ただ毎日を「丁寧に生きる」。

 

そして、目の前のことを、急がず、誤魔化さず、

そのまま受け取りながら過ごしていると、
 

ふとした瞬間に、
心の奥から「静けさ」が立ち上がってくることがあります。

 

その静けさの中で、
「ああ、そうか」と、言葉にならない理解が、自然に湧いてくるのです。

 

全ては、

本当はその「あとから分かる感覚」のためにあるんやないんかなあと思うんです。

 

 

無理に変わろうとしなくていい。
無理に心をコントロールしようとしなくていい。

ただ、生きることを少しだけ丁寧に。
 

その中で、あなた自身のタイミングで、
心はちゃんと、静まり、ほどけていきます。

 

 

本日も最後まで読んで下さり、

本当に有難うございました。

氣功師の有岐でした

 

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This column was published by the author in their personal capacity.
The opinions expressed in this column are the author's own and do not reflect the view of Cafetalk.

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