日本語・韓国語講師の Hayoung_Eiko です ^^
韓国語を勉強しているとき、
ふと気づくことがあります。
いや、もしかしたらそれは、
日本語を国語として学んでいた頃から、
ずっと続いている見方なのかもしれません。
私は、言葉の意味そのものよりも、
その言葉が使われるときの「気持ちの温度」を
見てしまうことがあります。
たとえば、ひとつの単語を見たとき。
辞書に書かれている意味よりも、
「どんなときに、この言葉が出てくるんだろう」と
考えてしまうことがあります。
悲しい、ではなくて、
どんな悲しさなのか。
嬉しい、ではなくて、
どんな距離の中で生まれた嬉しさなのか。
そうやって考えていると、
言葉を覚えているというよりも、
人の気持ちをなぞっているような
そんな感覚になることがあります。
気づけば、
語学を説明しているというより、
言葉を通して、
人の気持ちを考えるような文章を書いていることに。
うまく言葉にできているのかは分かりませんが、
もし、同じように感じたことがある方がいたら。
言葉の意味ではなく、
その奥にある何かに、
ふと触れたように感じる瞬間。
その感覚だけが、
静かに残ることがあります。
回应 (0)