日本語・韓国語講師の Hayoung_Eiko です ^ ^
外国語を学んでいると、
言葉との距離が少しずつ変わっていく瞬間があります。
韓国語と、私。
この関係を、どう言えばいいのか、
ときどき考えることがあります。
最初は、ただ「好き」でした。
音の響きや、言葉のやわらかさに惹かれて、
気づけば少しずつ日常の中に入り込んできて。
それだけで、十分だったはずなのに。
続けていくうちに、その距離は少しずつ変わっていきました。
うまく話せなかった日のもどかしさや、
伝えたいのに届かない感覚。
逆に、思いがそのまま届いたと感じたときの
小さな安心。
たとえば、あるとき、
ありったけの感謝の気持ちを言葉にして
伝えたことがありました。
すると相手は、
言葉を詰まらせるように頭を抱えながら、
感情が追いつかないような様子でいて——
「마음 정리가 잘 안 된다」
「정신을 못 차리겠다」
そんなふうに少し笑いながら、
それでも
「감사하다는 말로 표현할 수 없을 정도로 감사해요」
と、伝えてくれました。
言葉はどれも知っているはずなのに、
そのときは意味としてではなく、
“温度”として届いてきた気がします。
内容よりも、
どうしてそんな言い方になったのか、
その揺れのほうがずっと印象に残っていて。
韓国語は、いつの間にか、
ただの「学ぶもの」ではなくなっていました。
うまくできる日もあれば、思うようにいかない日もある。
それでも離れることはなくて、
気づけばまた同じ場所に戻ってきている。
近づいたり、少し離れたりしながら、
それでも続いてきた時間。
誰かの言葉に、ふっと救われたことってありませんか。
どれだけ話せるかよりも、
どんなふうに向き合ってきたか。
韓国語と私のあいだにあるものは、
きっとそういうものに近い気がしています。
あのときの言葉を、今もときどき思い出します。
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