日本語・韓国語講師の Hayoung_Eiko です ^ ^
ちゃんと謝っているはずなのに、
どこかで気持ちが置き去りになるような感覚を、
覚えたことがあります。
言葉としては整っていて、
形としても間違っていないはずなのに。
なぜか、静かに引っかかるものが残る。
ある場面で、そこにあったのは、
「謝罪」という行為そのものではなく、
「これで終わりにする」、
「なかったことにする」
という空気だったのかもしれません。
謝る、という行為は、
本来とてもシンプルなもののはずです。
自分のしたことに向き合って、
相手に伝える。
それだけのことのようでいて、
その前後にあるもののほうが、
ずっと大きいのかもしれません。
「謝ったから、もういいよね」
そんな言葉が、はっきりと発せられなくても、
場の中に、自然と広がっていくことがあります。
その空気の中では、
受け取る側の気持ちは、
どこかに置かれたまま、
先へ進んでいってしまうように感じることがあります。
ふと、似たような場面を思い出します。
誰かが何かをして、
「ごめんなさい」と言って、
「はい、もういいよ」と返される。
そのやり取りが終わった瞬間に、
まるで何もなかったかのように、
次の空気が始まっていく。
けれど、
その場にいた誰かの中には、
まだ言葉にならない何かが、
残っていたりもする。
謝ることと、終わることは、
同じではないと知ってしまったあの日。
言葉としての「ごめんね」が、
何かを閉じるためのものになってしまうとき、
そこには、少しだけ無理が生まれる気がしました。
だからといって、
どうすればいいのか、
はっきりとした答えがあるわけではありません。
そのやり取りの先に、
まだ続いていく関係があるのか。
つまり、
その関係に、まだ未来があるのかどうか。
それを、互いが望んでいるのかどうか。
それとも、
そこで静かに終わってしまうものなのか。
謝るという行為は、
その違いと、
どこかでつながっているのかもしれません。
私たちが受け取っているものは、
もしかすると、
言葉そのものではなく、
その先に流れるものなのかもしれません。
あの日の違和感は、
今も、ふとした瞬間に思い出されます。
そして――
あのとき感じたものは、
今の自分に、何を残しているのでしょうか。
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