日本語・韓国語講師の Hayoung_Eiko です ^ ^
― 燃え尽き症候群という「正しい違和感」
つい最近まで、
あんなに自然に動けていたのに。
朝、いつも通りに起きて、
いつも通りに一日が始まるはずだったのに。
ある日を境に、
急に、何もしたくなくなる。
理由は、うまく言えないまま
ただ、前と同じようには、動けない。
それを私たちは、
「燃え尽き症候群(バーンアウト)」と呼びます。
多くの場合、それは
“防ぐべきもの”として扱われます。
どうすれば防げるか。
どうすれば戻せるか。
けれど
その前に、
ひとつだけ、考えてみたいのです。
その状態は、本当に
「間違っている」のでしょうか。
世界保健機関は、
バーンアウトを「職業に関連する現象」と定義しています。
個人の弱さではなく、
働き方や環境との関係の中で起こるもの。
もしそうだとしたら
それは、壊れてしまったのではなくて、
どこかで、合わなくなっただけ
なのかもしれません。
やる気があった頃
私たちは、何かとつながっています。
意味や役割や、
自分なりの納得のようなものと。
でも、少しずつ
そのつながりに、
小さな違和感が混ざり始める。
説明できるほどではないけれど、
なんとなく引っかかる感覚。
それでも、日常は続いていくから、
気づかないふりをして、進んでいく。
そして、ある日
もう、続けられなくなる。
それが、
「やる気が消えた日」なのだとしたら
それは、失敗ではなくて
見ないままにしてきたものが、
ようやく表に出てきただけなのかもしれません。
ここで、無理に元に戻ろうとすると、
きっと同じ場所に戻ります。
同じ違和感を抱えたまま、
同じように動こうとするからです。
だからこそ
必要なのは、回復ではなくて
ほんの少し、立ち止まることではないのかと。
何が、ずれていたのか。
どこまでが、自分の意思だったのか。
それを、急がずに見ていくこと。
答えは、すぐには出ないかもしれません。
むしろ、
出ないままの時間の方が長いかもしれない。
でも、その時間は、
何もしていない時間ではなくて
これからの動き方を、
静かに変えていく時間でもあるはずです。
燃え尽きは、
避けるべきものとして語られることが多いけれど
もしかすると
それは、
これまでの続き方を終えるために、
必要な出来事だったのかもしれません。
やる気がなくなった自分を、
責めるのではなくて
少しだけ距離をとって、
その状態を見つめてみる。
そこには、
まだ言葉になっていない理由が、
残っている気がするのです。
その理由に、
どんな名前をつけるのか
あるいは、
つけないままにしておくのか
その選択は、
まだ、急がなくてもいいのかもしれません。
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