日本語・韓国語講師の Hayoung_Eiko です ^ ^
ある単元に出会ったとき、
ふと、手が止まってしまうことがあります。
さっきまで進んでいたはずなのに、
急に見えなくなる。
どう進めばいいのか、分からなくなる。
そんな瞬間。
そんなとき、
私たちはつい、
「難しい」とひとことで片づけてしまいがちです。
でも、その感覚の中には、
もう少し違うものが含まれているのかもしれません。
まだ経験したことのない何かに触れたときの、
少し戸惑うような感覚。
見方を変えれば、
“のびしろ”に出会った瞬間、とも言えそうです。
一方で、
「ここが自分の限界なのかもしれない」と、
立ち止まりたくなることもあります。
初めてのこと。慣れないこと。
そういうものに触れると、人は少し揺れます。
その揺れが心地よければ、
もう少しやってみようと思える。
そのとき、
大きく進もうとしなくてもいいのかもしれません。
ほんの少しだけ、
今できるところまで、触れてみる。
一歩というより、半歩くらいでもいい。
そうやって近づいていくうちに、
気づいたら、最初に感じていた「難しさ」が、
少し違って見えてくることもあります。
反対に、どこか違和感が残るときは、
少し距離を取るという選択も、
ひとつの向き合い方なのかもしれません。
私自身も、どちらも経験してきました。
「これを乗り越えたら、何か手に入るはず」
そう信じて進んだ先で、
確かに得られたものもあります。
でも同時に、
負荷を考えて量やレベルを調整したこともあれば、
現実を知って手放したこともありました。
振り返ると、
どの選択も、そのときの自分なりに考えて出したもの。
今では、どれも納得のいく形で残っています。
私は、いわゆる韓国語オタクなのですが・笑
試験勉強はあまり得意ではありません。
それよりも、
「使いたい言葉を、自分の言葉にしたい」。
そう思ったときに、
気づくと、手が伸びている気がします。
気づいたら、続いている。
いつの間にか、没頭している。
好きなことって、
たぶん、こういうことなのかな、と。
「難しい」と感じたとき、
それは“できない”という合図なのか。
それとも、
まだ知らない領域に触れているだけなのか。
すぐに答えは出ないかもしれません。
でも——
あのとき、なぜ手が止まったのか。
その理由を、ふと考えてみる。
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