日本語・韓国語講師の Hayoung_Eiko です ^ ^
ドアを開けてもらったとき、
思わず「すみません」という言葉が、先に出てしまったことがありました。
嬉しかったはずなのに、
「ありがとう」ではなく、
なぜか、謝る言葉が出ていました。
そのときは気にしなかったのに、
あとからふと、小さな違和感だけが残っていました。
日本語には、「ありがとうございます」という言葉があります。
もともとは「有り難い」。“あることが難しい”ほど、めったにないこと。
そう考えると、この言葉の中には、
“そんなことをしていただけるなんて、もったいないほどだ”
という感覚が、静かに含まれているように思えます。
一方で、「すみません」は「済まない」から来ています。
このままでは済まない、どこかで、少し収まりがつかない。
“あなたに何かをさせてしまって、そのままではいられない”
そんな気持ちが、にじむ言葉なのかもしれません。
日本語では、この二つが同じ場面で重なることがあります。
「すみません、ありがとうございます」。
感謝と遠慮と、ほんの少しの恐縮。
どれか一つではなく、
いくつかの気持ちが重なっているような言い方です。
ここからは、韓国語の言葉にも目を向けてみます。
韓国語にも、
「감사합니다」と「죄송합니다」という言葉があります。
「감사합니다」は純粋な感謝、
「죄송합니다」は明確な謝罪。
そしてもう一つ。
似ているようで、少し違う言葉があります。
「미안합니다」。
「죄송합니다」は「申し訳ない」、
「미안합니다」は「ごめんなさい」と訳されることが多い言葉。
でも、その訳だけで捉えようとすると、
少しだけ違って見えてくる気がします。
どちらも謝る言葉ではありますが、
違いは、単なる重さではなく、
どこに責任や距離を置くかにあるように感じられます。
「미안합니다」は、
自分の中に生まれた申し訳なさや、
関係の近さの中で出てくる言葉。
内側の感情に近いもの。
一方で「죄송합니다」は、
関係や立場の中で求められる責任や距離。
自分の非や立場を、関係や距離の中で引き受ける言葉です。
同じ謝罪のようでいて、
見ている場所が、少しだけ違う。
だからこそ、韓国語では、
感謝と謝罪が自然に重なる場面は、
日本語ほど多くはないように感じます。
感謝は感謝として。
謝罪は謝罪として。
それぞれの言葉で表されることが多い印象です。
その視点で見てみると、
日本語の「すみません」は、
少し不思議な位置にある言葉に見えてきます。
感謝の場面でも使われ、謝る場面でも使われる。
責任の所在をはっきり示すというよりも、
“負担をかけてしまった”という感覚だけが、
やわらかく残る言葉。
してもらったことを、“ありがたい”だけで終わらせずに、
“少し申し訳ない”とも感じてしまうこと。
その重なりが、
人との距離をやわらかくしているのかもしれません。
言葉は、意味だけでできているわけではなくて。
たとえば、あのとき思わず出た「すみません」のように、
感じ方や受け取り方まで含めて、少しずつ形になっていくもの。
同じ「ありがとう」でも、そこにどんな気持ちを含めるのか。
その違いが、その人らしさや、その言語らしさとして、
静かににじんでいくのかもしれません。
今日、誰かに言葉を返すとき。
その中に、どんな気持ちが混ざっているのか、
少しだけ、立ち止まってみたくなります。
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