※「レッスンの余白」は、わたしが日本語教師をする中で感じたこと、
思ったことをお伝えするコラムです。
日本語には「正字法(せいじほう)(orthography)」がないと言われています。
これは、ひとつひとつの言葉に
必ず、このように書かなければいけないというルールがない、
ということです。
ですので、
「ありがとう」でも「有難う」でもOK、
「うれしい」でも「嬉しい」でもOK、
「きれい」でも「綺麗」でもOK、
さらには、
「子供」「子ども」「こども」
「たべる」を「食べる」「喰べる」
これらも、いずれも間違(まちが)いではありません。
逆(ぎゃく)に言えば、
書く人が、その時の気分(きぶん)や文章の内容で
自由(じゆう)な文字を使(つか)えるということです。
これについては、
文豪(ぶんごう)谷崎潤一郎(たにざきじゅんいちろう)も、
その「文章読本(ぶんしょうどくほん)」の中で
「私は、読み方ののために文字を合理的(ごうりてき)に使おうとする
企図(きと)をあきらめてしまい、
…それらを文章の視覚的(しかくてき)並びに音楽的効果としてのみ
取(と)り扱(あつか)う。」※ふりがなはKOBA
と言っています。
確(たし)かに、名作「蘆刈(あしかり)」でも、
「されば大阪の方からゆくと
新京阪(しんけいはん)の大山崎(おおやまざき)でおりて
逆(ぎゃく)に引きかえして
そのおみやの後(あと)へつくまでのあいだに
くにざかいをこすことになる。」※ふりがなはKOBA
というような文章があります。
「ゆく(行く)」「おりて(降りて)」「おみや(宮)」
「つ(着)く」「あいだ(間)」「くにざかい(くにざかい)」
など、現在であれば、漢字で書くことが一般的(いっぱんてき)な言葉についても
ひらがなが使われているのに気がつきます。
同じ言葉が、あるところでは、ひらがなで、
あるところでは漢字で書かれている、
ということも珍(めずら)しくありません。
そして、それが、
谷崎の文章を目にやさしく、
読むときの頭の中の声を
柔(やわ)らかくしているのは事実(じじつ)です。
これは、まったく私の趣味(しゅみ)ですが、
私も、ひらがなで書ける言葉を
わざわざ漢字で書くことは好みません。
「有難う」よりも「ありがとう」、
「嬉しい」よりも「うれしい」、
「綺麗」よりも「きれい」
の方が、きめ細(こま)かい感情(かんじょう)を
表(あらわ)しているように思います。
ただ、論文(ろんぶん)や社内(しゃない)の書類(しょるい)は
漢字で書いた方が、
公式(こうしき)なメッセージのように思えるのも事実(じじつ)です。
漢字で書くか、ひらがなで書くかは、自由です。
その時の気分、相手の立場(たちば)、文章の性格などによって、
漢字かひらがなかを考えながら書く、
面倒臭(めんどうくさ)いようですが、
それも日本語の楽しさです。
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KOBA
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