日本語・韓国語講師の Hayoung_Eiko です ^ ^
最近、
「大人になってからの、感情と記憶の置き場所」について、
話す機会がありました。
その時に、以前、ある人と、
人生について深く話したことを、ふと思い出したんです。
「“一緒に生きていく相手”と、
“人生に深く刻まれる関係”は、
同じとは限らない」
そんな話でした。
その言葉に、共感せざるを得ませんでした。
分かり過ぎるくらいの経験を、お互い持っていたからです。
だから、あの会話は、ただの雑談ではなく、
どこか静かな共鳴のように心に残っていました。
若い頃は、「忘れられない」という感情を、
どこか未熟なもののように捉えていた時期がありました。
でも、歳を重ねる中で感じるのは、
人は必ずしも、「忘れたから前に進める」
わけではない、ということでした。
人生には時々、
“人生を共にする相手”
と、
“人生に深く刻まれる関係”
が、別の形で存在することがあると知ったからです。
それは、誰かを軽く扱っているというより、
人生が感情だけでは決まらないからなのかもしれません。
だからといって、過去へ戻りたいわけではありません。
今の人生には、今の時間があります。
ただ、駆け引きではなく、誰かに合わせ続けることでもなく、
自分の感情を否定しないまま、現実を見て生きようとしていた時、
少しずつ、分かってきたことがありました。
“忘れられない”という感情は、
無理に消そうとしなくても、いいのかもしれない、ということです。
韓国語には、「정(情)」という言葉があります。
好き嫌いや恋愛感情だけでは説明できない、時間の積み重ねの中で、
少しずつ人生に染み込んでいくような感情。
離れても、終わっても、完全には消えていかない、
人と人との温度のようなものです。
私も、そういう「정」で繋がる縁が、人生にはあるのだと、
歳を重ねるほどに、感じるようになってきました。
ふとした景色や、ある言葉をきっかけに、
「あぁ、あの時間、ちゃんと存在していたんだ」
と思う瞬間があります。
消したいわけではない。
抱きしめ続けたいわけでもない。
ただ、人生のどこかに、静かに置いていく。
昔の私は、感情というものを、
「整理するか」
「忘れるか」
のどちらかで考えていた気がします。
でも今は、完全に消えないものがあってもいいのかもしれない、
と思うようになりました。
人との関係も、記憶も、感情も、
必ずしも、“終わったら消える”わけではないんですよね。
むしろ、長い時間をかけて、記憶の風景の一部みたいに、
静かに残っていくものもある。
韓国語の「정」には、そんな、“時間の積み重なり”の感覚が、
どこか含まれている気がしています。
だからこそ、離れても、もう同じ場所には戻れなくても、
「確かに存在していた時間」
そのものは、人生の中から無くならないのかもしれません。
そして、それを無理に否定しなくなった時
少しだけ、人との関係を、
穏やかに抱えられるようになった気がしています。
“人生に残り続ける関係”
があることを、今は、とても愛おしく思っています。
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