日本語・韓国語講師の Hayoung_Eiko です ^ ^
ゴミを捨てる時、
私たちは何を意識しているでしょうか。
燃えるゴミ。
資源ゴミ。
ペットボトル。
缶。
びん。
日本では当たり前のように分けています。
正直なところ、
少し面倒だと感じることもあります。
それでも多くの人が続けているのは、
なぜなのでしょうか。
多くの人は、
「環境のため」
「リサイクルのため」
と答えるかもしれません。
もちろん、それも大切な理由です。
しかし私は、
それだけではないような気がしています。
日本では昔から、
使った場所をきれいにする。
靴をそろえる。
列に並ぶ。
そんな習慣があります。
そこには、
「次の人が気持ちよく使えるように」
という考え方があります。
分別も、
その延長線上にあるのかもしれません。
私たちは、
ゴミを出した瞬間に役目が終わったような気持ちになります。
でも本当は、
そこから誰かの仕事が始まっています。
ゴミを回収する人。
収集車を運転する人。
処理施設で働く人。
リサイクルに携わる人。
私たちが見えない場所で、
多くの人が毎日の暮らしを支えています。
もし、
割れたガラスが混ざっていたら。
スプレー缶が適切に処理されていなかったら。
モバイルバッテリーが普通ゴミに入っていたら。
危険にさらされるのは、
次にそのゴミを扱う人たちです。
近年では、
モバイルバッテリーやリチウムイオン電池が原因とみられる、
ゴミ収集車や処理施設の火災のニュースを目にすることもあります。
収集車の中では、
回収したゴミが強い力で圧縮されます。
その際に電池が破損し、
発火することがあるそうです。
もし火災が起これば、
清掃員の方々は危険にさらされます。
設備が損傷することもあります。
回収業務が停止することもあります。
そして、
もし怪我によって働けなくなってしまったら。
収入に影響するかもしれません。
ご家族の生活に影響するかもしれません。
私たちが何気なく出した一つのゴミが、
誰かの日常を大きく変えてしまう可能性もあるのです。
危険なのは、
大きな事故につながるものだけではありません。
例えば、
焼き鳥やフランクフルトの竹串。
割り箸。
折れたプラスチック製品。
一見すると何の問題もなさそうに見えます。
でも、
袋から飛び出したまま捨てられていたり、
そのまま入れられていたりすると、
回収作業中に手を傷つけてしまうこともあります。
私たちにとっては、
ほんの少しの手間かもしれません。
それでも、
先端を折る。
紙で包む。
袋の中に収める。
そんな小さな配慮が、
誰かの安全につながっています。
さらに、
回収業務が滞れば、
困るのは私たち自身です。
街にゴミが残る。
衛生環境に影響が出る。
暮らしに支障が出る。
ゴミの問題は、
決して「誰かの問題」ではありません。
社会のどこかで起きたことは、
巡り巡って私たちの生活にもつながっています。
そう考えると、
分別とは単なるルールではありません。
環境問題だけでもありません。
誰かの安全を守ること。
社会を支える仕組みを守ること。
そして、
小さな思いやりの積み重ねなのだと思います。
私たちは、
思いやりというと、
何か特別なことを想像しがちです。
でも本当は、
焼き鳥の竹串を折って捨てること。
ペットボトルを軽くすすぐこと。
電池を正しく回収に出すこと。
そんな日常の小さな行動の中にも、
思いやりはあるのかもしれません。
「日本人らしさとは何だろう。」
そう考えた時、
私は特別なことではなく、
毎週のゴミ出しという何気ない習慣の中に、
その答えの一つがあるような気がしました。
自分のためだけではなく、
ほんの少し先のことを考える。
小さな手間を惜しまない。
私たちは、
ゴミが家の前からなくなると、
そこで終わったような気持ちになります。
でも本当は、
見えなくなっただけで、
誰かの仕事は続いています。
私たちの暮らしは、
そんな見えない仕事によって支えられています。
ゴミ袋を出したその先にも、
誰かの仕事があり、
誰かの暮らしがあります。
分別とは、
ゴミを分ける作業ではなく、
見えない誰かへの思いやりを形にすることなのかもしれません。
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