日本語・韓国語講師の Hayoung_Eiko です ^ ^
以前、外国の方が
日本語の「もったいない」を紹介している映像を
見たことがあります。
その方は、
「世界でも珍しい、とても美しい言葉です」
と話していました。
私はその時、
少し不思議な気持ちになりました。
なぜなら、
「もったいない」は日本人にとって
あまりにも身近な言葉だからです。
食べ物を残した時。
まだ使える物を捨てようとした時。
水を出しっぱなしにしている時。
私たちはごく自然に、
「もったいない」
と言います。
でも改めて考えてみると、
この言葉は少し不思議です。
外国語にも近い表現はあるそうなのですが
けれど、日本語の「もったいない」と
まったく同じ意味ではないのだそうです。
なぜなら、
日本人が「もったいない」と言う時、
そこには単なる
損得以上の気持ちが含まれているからだと聞きました。
例えば、
冷蔵庫の奥で野菜を傷ませてしまった時。
まだ着られる服を捨てる時。
使わなくなった物を整理する時。
私たちは、
「お金がもったいない」
と思うだけではありません。
どこかで、
「申し訳ないな」
という気持ちになります。
作ってくれた人。
育ててくれた人。
運んでくれた人。
その物がここへ来るまでに関わった、
たくさんの時間や手間を思うから。
確かに、と納得する部分が多かったのを思い出します。
実際に、「もったいない」という言葉に感動したのが、
ケニアの環境活動家であり
ノーベル平和賞受賞者の ワンガリ・マータイさん でした。
彼女は、
Reduce(減らす)
Reuse(再利用する)
Recycle(再資源化する)
という3Rに、
Respect(敬意)
を加えた考え方として、
「MOTTAINAI」
を世界へ広めました。
彼女が注目したのも、
節約ではなく、
物や資源への敬意だったのです。
考えてみれば、
日本には昔から、
壊れた物を直して使う文化があります。
服を繕う。
器を修理する。
使える物は最後まで使い切る。
そこには、
「まだ使えるのに」
だけではなく、
「ここまで役に立ってくれてありがとう」
という気持ちがあったのかもしれません。
そして私は、
「もったいない」は、
物だけに使う言葉ではないような気がしています。
読まずに積まれた本。
やろうと思ったまま過ぎてしまったこと。
「また会いましょう」と言ったまま会えなくなった人。
私たちは時々、
物ではなく、
時間や機会、
そして人との縁に対しても、
「もったいなかったな」
と感じます。
それは、
失うことが惜しいからではなく、
その大切さを知っているから。
だから日本人は、
今日もどこかで
「もったいない」
と言うのかもしれません。
物を大切にすること。
それは節約ではなく、
感謝なのかもしれません。
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