日本語・韓国語講師の Hayoung_Eiko です ^ ^
先日、生徒さんから、韓国ドラマに出てきた
ある表現について質問をいただきました。
돈도 쥐뿔도 없어.
「『何もない』という意味ですよね?」
もちろん、その訳で間違いではありません。
でも、その一言を聞いたとき、私は少し立ち止まりました。
たしかに、「何もない」という意味です。
けれど、この表現は、
それだけでは言い表せないような気がしたのです。
そこで辞書を調べたり、
実際の用例を読み返したりしているうちに、
少しずつ見えてきたことがありました。
「쥐뿔도 없다」という一言には、
「何もない」という事実だけではなく、
その人の気持ちまで一緒に伝わってくることがあるということです。
実際に辞書を調べてみると、『표준국어대사전』では
쥐뿔도 없다 を「少しもないことを強調する口語的な表現」
と説明しています。
たとえば、
돈이 쥐뿔도 없어.
と言えば、
「お金がまったくない。」
「これっぽっちもない。」
という強い意味になります。
また、
앞이 쥐뿔도 안 보인다.
なら、
「全然見えない。」
という意味になります。
ここでの 도 は、「~さえ」という意味を添え、
「ほんの少しさえない」ことを強く表しています。
調べてみると、「ない」と訳せる韓国語は、
一つではありませんでした。
별것 없다 は、「大したことではない」。
쓸데없다 は、「役に立たない」。
개뿔 は、「あるわけない」。
同じ「ない」と訳せても、
そこに込められている気持ちは、それぞれ少し違います。
だからこそ、「쥐뿔도 없다」という一言が、
ただ「何もない」という意味以上に心に残った理由も、
少し分かった気がしたのです。
外国語を勉強していると、
新しい単語を覚えることに夢中になる時期があり、
それも、とても大切なことです。
でも、本当に心に残るのは、意味を覚えた日ではなく、
その言葉を話す人の気持ちが見えた日なのかもしれません。
けれど、その一語の中には、
笑ってしまうしかない悔しさも、
少し強がる気持ちも、
現実を受け止めようとする静かなあきらめも、
そっと重なっていました。
外国語を学ぶということは、
単語を一つずつ増やしていくことだと思っていました。
でも今は、少し違う気がしています。
一つの言葉の向こうに、
その言葉を話す人の表情や気持ちが見えたとき。
その瞬間、私が覚えたのは、
単語の意味ではなく、
その言葉を話していた人の気持ちでした。
だから今でも、この言葉を聞くたびに、
私は辞書より先に、その人の表情を思い出します。
Comments (0)