日本語・韓国語講師の Hayoung_Eiko です ^ ^
レッスンで、外国人の生徒さんから、
「先生、日本人ってみんな優しいですよね。」
と言われたことがあります。
とてもうれしい言葉でした。
でも私は、「ありがとうございます。」と答える前に、
ほんの少しだけ間がありました。
もちろん、生徒さんは、日本で出会った人たちの印象を、
そのまま話してくださっただけです。
「日本人全員がそうだ」と言いたかったわけではありません。
それは私にもよく分かっていました。
それでも、「日本人って」という言葉を聞いた瞬間、
「そういう人もいるし、そうではない人もいる。」
そんなことが頭に浮かびました。
だから私は、
「ありがとうございます。
でも、日本人にも本当にいろいろな人がいるんですよ。」
とお返事しました。
その会話はすぐに終わりました。
でも、不思議と心に残りました。
数日後、SNSで、
「主語が大きい」
という言葉を見かけました。
「日本人は。」
「外国人は。」
「男性は。」
「女性は。」
一人や数人との経験を、
その集団全体のことのように語ってしまうこと。
そんな場面で使われる言葉です。
もちろん、話を分かりやすくするために、
大きなくくりで話すことはあります。
私もそうです。
また、「主語が大きい」という言葉は、
ときには皮肉や批判として使われることもあります。
だから、この一言だけで誰かを判断することはできません。
それでも、この表現が広まった背景には、
「一人の経験だけで、みんなを語るのは少し違うのではないか。」
そんな感覚が、この言葉には込められているように感じました。
そして、この言葉を知ってから、
もう一つおもしろいことに気づきました。
日本語は、主語を省略することがとても多い言語です。
「行ってきます。」
「食べました。」
「大丈夫です。」
誰がしたのかを言わなくても、自然に会話が成り立ちます。
そんな日本語なのに、
「主語が大きい」という表現が生まれました。
考えてみると、不思議です。
ここでいう「主語」は、文法ではなく、
人をどこまで一つの言葉でまとめてしまうか。
そのことを表しているのでしょう。
あの日、私が返事をする前に少しだけ間があった理由も、
今なら分かる気がします。
「日本人」という一つの言葉の向こうに、
私がこれまで出会ってきた一人ひとりの姿が浮かんだからです。
最近よく耳にする「主語が大きい」という言葉。
誰かを一つの言葉で語ろうとしたとき、少しだけ立ち止まる。
私にとって、この言葉は、
そんなきっかけをくれる言葉になりました。
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