カメラマンという天職を捨てた時、僕は島根県横田町のホシザキの工場にいた。 40歳だった。黒いTシャツを、汗で真っ白にして働いていた。 白くしたのは塩だった。ステンレスを扱う工場だった。 誰かが振り回した一枚の板が、僕の首すれすれを通り過ぎたことがある。
あの日、何が僕の首を切らずに済ませたのか、今でもわからない。 ただ、あのときの鋭い金属の風切り音だけは、はっきり覚えている。
『変身』を見ながら、その音がずっと耳の奥にあった。
生体間脳移植の話である。
主人公の純一(神木隆之介)も、絵描きになる夢を抱えたまま、工場で働いていた。
違うのは、彼の首を切りかけたのが、板ではなく、 自分の中の何か別のものだったということだ。
純一の人生は一発の銃弾から少女を救った事で変わっていく。 人を助けたことが、その人から人生を奪う。 そういう理不尽の書き方が、東野圭吾はうまい。
彼は「なぜこの人だったのか」に答えを出さない。 出さないまま、その人の日常を淡々と壊していく。
頭の中に他人の脳があるとどうなるか。
聴覚が鋭くなる。言葉が変わる。絵の色遣いが変わる。 そのひとつひとつは小さな違和感でしかない。 だが小さな違和感というのは、積もると輪郭を持つ。 恵はそれに気づいていた。気づいていないふりを、しばらく続けていた。
その「ふり」の時間の長さこそが、この物語の一番怖いところだったと思う。
僕にも、似たようなふりの時間があった。
工場の音の中で、自分がカメラマンだったことを、 少しずつ思い出さないようにしていた時間が。 夢を捨てたと言えば潔いが、実際はもっと鈍い過程だった。 ある日きっぱりやめたのではない。 明日は考えよう、来月には、来年には、と先送りしているうちに、 気がつけばもう戻れない場所に立っていた。
ステンレスの粉が指の間に入り込むように、 少しずつ、違う自分に置き換わっていく感覚だった。 ファインダーを覗いていた指が、 いつのまにか鉄板の縁を撫でて傷を確かめる指になっていた。
その日にちも、その瞬間も、僕は特定できない。 できないということが、いちばん怖い。
純一が徐々に純一でなくなっていく過程を、加害者にしなかった脚本の判断に、 静かに息を呑んだ。彼は誰も傷つけたくて変わったわけではない。
変わっていく自分を、誰よりも先に、彼自身が一番怖がっていた。 その怖さを、大声では描かない。声を荒げるシーンより、 言葉が急に足りなくなる沈黙のほうが、ずっと雄弁だった。
神木隆之介という俳優は、目の奥の温度を一段ずつ下げていくことができる。 同じ顔で、同じ声で、けれど確実に違う人間が そこに座っているように見える瞬間がある。 あれは技術というより、覚悟に近いものだと思った。
好きなシーンがある。
ほんの一瞬だけ自分を取り戻した純一が、恵を描くところだ。
東野圭吾『変身』
あの数十秒のあいだだけ、彼の手はまぎれもなく純一の手だった。 線が、迷いながら、それでもまっすぐ恵に向かっていく。 上手いとか下手とかいう話ではない。 その線は「この人を見ていたい」という一心だけでできていた。 描くという行為は、対象を見つめ続けることでしかない。 だから彼はあのとき、間違いなく恵を愛していたのだと思う。
東野圭吾『変身』
カメラを持っていた頃の僕にも、覚えのある感覚だった。 ファインダー越しに人を見つめている時間だけは、 自分が誰であるかを疑わずにいられた。 純一にとっての鉛筆は、たぶんそれと同じものだった。
そして、その一瞬は必ず終わる。
終わることを、描いている本人がいちばんよく知っている。 だからあの絵は、絵であると同時に、置き手紙だった。
恵(二階堂ふみ)という人物についても、書いておきたい。
彼女は最後まで「愛していた」と胸を張って言えたわけではないと思う。 愛していたのは、純一なのか。純一だったころの記憶なのか。 それとも、変わっていく彼を愛そうとする自分自身の意志だったのか。 その境界が最後まで曖昧なまま置かれていたことに、 安易な感動へ流れなかった誠実さを感じた。
二階堂ふみは、その曖昧さを表情で処理しない。 むしろ表情を止めて、こちらに考えさせる。 彼女が笑わなくなっていく過程は、 純一が変わっていく過程と、ぴったり同じ速度で進んでいた。
ラストシーンについては、多くを書かない。
ただ、あの場面で交わされた視線が、 第一話の、まだ何も起きていなかったころの二人の視線と 静かに呼応していたことだけは書いておきたい。 最初から、何かが少しだけ、狂い始めていたのだ。 気づいていたのに、気づかないふりをして、二人はそこにいた。
医療サスペンスという看板を掲げながら、この物語が本当に描いていたのは、 「自分が自分でなくなっていくことを、隣の誰かにどう伝えるか」という、 誰の日常にも起こりうる恐怖だったのだと思う。
工場でも、病室でも、変わっていく場所はどこでもよかったのだと思う。
病でも、老いでも、生活に押し流されるのでも同じだ。
変わっていく自分を、それでも誰かに見ていてほしいと願う気持ちに、 名前をつけるとしたら、それはきっと「変身」以外にない。
見終えたあとも、しばらく金属の音が、耳の奥に残っていた。
あの日、僕の首すれすれを通り過ぎた音と、よく似た音だった。 あの音を聞いてから、僕は何度か別の人間になった。 そのたびに、誰かが見ていてくれた気がする。 たぶんそれだけで、人はどうにか生きていける。
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