日本のドン・キホーテで買い物をしている韓国人観光客、キム・テヒョンさん。
レジ係の店員さんが尋ねます。
「袋、要りますか?」
その瞬間、キム・テヒョンさんの頭の中は少し混乱します。
「こういうときは大丈夫?それともいらない?」
どちらも、もちろん習った表現です。
ところが、いざレジの前に立つと、なぜか少し迷ってしまいます。
なぜでしょうか?
안녕하세요. 한국어강사 로사입니다.
今日は、私たちが日常の中で何気なく使っている韓国語の「괜찮아요」と、日本語の「大丈夫です」を、語用論と対照言語学の観点から見ていきたいと思います。
「괜찮아요」と「大丈夫です」は、なぜ似ているのに難しい?
興味深いのは、どちらの表現も、状況によって正反対の働きをすることです。「괜찮아요」は、「問題ありません」「大丈夫です」という肯定的な意味にもなれば、「いいえ、結構です」「必要ありません」という断りの意味にもなります。
日本語の「大丈夫です」も同じです。「問題ありません」「大丈夫です」という肯定的な意味で使われる一方、相手からの提案や勧めに対して、「いえ、大丈夫です」「必要ありません」という、やわらかな断りとしても使われます。
つまり、単語そのものの意味だけでは、話し手が何を意図しているのかを完全に判断することはできません。
ここで登場するのが、語用論です。語用論では、単語や文の辞書的な意味だけではなく、「誰が、誰に、どのような状況で、どのような意図をもって発話したのか」ということまで含めて、ことばの意味や働きを考えます。
では、「괜찮아요」と「大丈夫です」は同じ表現?
ここからが、ちょっと面白いところです。韓国語と日本語では、どちらも相手からの提案や好意を断るときに、このような表現を使うことができます。しかし、だからといって、二つの表現の使われ方が完全に一致するわけではありません。
たとえば韓国語で、「봉투 필요하세요?」と聞かれたとします。ここで「괜찮아요」と答えれば、自然に「いいえ、必要ありません」という意味として理解されます。
ところが、韓国語を学ぶ日本人学習者にとっては、ここでちょっとした混乱が起こります。なぜなら「괜찮다」という単語そのものには、「問題がない」「状態がよい」という意味があるからです。
日本語の「大丈夫です」も同じです。「大丈夫」という基本的な意味と、実際の会話の中で果たしている働きとの間には、かなりの距離があります。
だからこそ、このような表現は外国語学習者にとって難しいのです。辞書に書かれている意味と、実際の会話で伝わる意味が、必ずしも同じではないからです。
大切なのは、「どの単語を使うか」より「何を伝えたいのか」
では、もう一度、レジの場面に戻ってみましょう。店員さんが「袋、要りますか?」と尋ねました。このとのベストアンサーは、「大丈夫です」でも、「いらないです」でもなく、「マイバッグあります」です。
なぜでしょうか?この表現には、袋を断る理由と、自分の現在の状況が一緒に含まれているからです。
「袋は必要ありません」と単純に断るよりも、「マイバッグあります」と言えば、相手もすぐに状況を理解できます。これが、実際のコミュニケーションにおける「文脈の力」です。
もちろん、「大丈夫です」や「いりません」が間違った表現だということではありません。どちらも自然に使うことができます。
ただ、外国語を学ぶ立場からすると、相手が何を尋ねているのかを正確に理解し、その質問に対して自分の意図がより明確に伝わる表現を選ぶことが大切です。
外国語は、単語を覚えるだけでは終わらない
外国語を深く学ぶということは、単に単語や文法をたくさん覚えることだけではありません。その言語が使われている社会の文化や習慣、人間関係、コミュニケーションのあり方まで、一緒に理解していく必要があります。
同じ表現でも、どのような場面で、誰に対して、どのような表情やイントネーションで発話するかによって、相手に伝わるニュアンスは変わるからです。
特に韓国語と日本語のように、文脈や状況が意味の解釈に大きく関わる言語では、文そのものを理解するだけでなく、その文がどのような場面で使われているのかを理解することが重要です。
これは、いわゆる「高コンテクストなコミュニケーション」とも関係しています。だから、外国語を勉強していると、こんな瞬間に出会います。「文法的には合っているのに……なぜか、ちょっと不自然?」
まさに、ここで必要になるのが語用論的能力です。文法的に正しい文を作る能力と、その文をその場にふさわしい形で使う能力は、同じではありません。
レジの前で、「大丈夫です」なのか、「いらないです」なのか、それとも「マイバッグあります」なのか。
一瞬の言葉選びに見えても、実際にはその背後に、状況を把握する → 相手の意図を理解する → 自分の意図を伝える → 誤解を避けるという、複雑なコミュニケーションのプロセスがあります。
結局、外国語が上手に話せるというのは、文法的に正しい文を作れることだけではありません。その言葉が、その場でどのように聞こえるのかまで理解すること。私は、そこからが本当の意味での「外国語の勉強」なのではないかと思っています。
次回のコラムでも、韓国語と日本語を行き来することで見えてくる、面白い言語現象を一緒に見ていきたいと思います。
ーロサー