普段は見ない誰かの嫌な部分を知った時、よくこんなことを言います。
「あの人の本性を見た」
人の本性、つまりその人の本質を知るのは難しいことです。どうしても時間がかかります。私たちは人の嫌なところを見た時、簡単にそれが本来のその人であるかのように考えてしまうことがあります。また、自尊心が低い時は自分の失敗や嫌なところに注目して「この最低な自分が本来の自分なのでは」と考えることがあります。
頭の中で、自分がとても順調で、心身ともにとても調子がいい時を思い浮かべてください。すごくいいことや嬉しいことがあった時など、自然に穏やかな表情になる時でもいいです。(実際そういった時間は現実にはあまり多くないのかもしれませんが)そういったときは比較的簡単に人に親切にしたり優しくできたりしませんか?心穏やかな時、誰かの悪口を言ったり批判や不平を言ったりもしません。誰かのちょっとした失敗も、「許してあげようかな」そんな気分になります。それだけの余裕を持っているからです。私は、その余裕がある状態の「いい人の部分」がその人の本来の姿なのではと思います。
今は誰もがストレスを抱え、圧迫された中生活しています。自分が大変な時はどうしても余裕がなくなり、なかなか人に優しくできないのも無理はないのかもしれません。心が乱された時、人は容易に不平不満、批判が口から出てきます。イライラが募り、さらにストレスも増し、仕事や生活にも支障が出てきます。心に余裕なんて持てるはずもなく、人に寛容であることはいっそう難しくなります。そんな時に言ってしまった一言や、してしまったひとつの行動で、「あの人は本来ああいう人なんだ」とは誰も思われたくないでしょう。
ストレスの性格への影響は非常に大きいものです。それによって性格が間逆に変わってしまうようなことも実際に生じます。怒りが抑えられなくなる「怒り発作」と言われるパニック障害やうつの症状も、心への負担が引き起こすもののひとつと言えます。
もし今度、「本性を見た」と感じることがあったなら、「ストレスたまってるのかな」「疲れてるのかな」「今日はたまたま機嫌が悪かったのかな」と考えてみてください。相手に対して寛容な見方をすることは、自分の心に余裕を作る一つの方法です。もちろん、結婚相手を見極めている時などに相手の嫌なところを寛容に見すぎるのはいけません。習慣化しているか、ついついしてしまった失敗と言えるのか、そこをよく考えてみましょう。