よく、ヴァイオリンやピアノは華やかな楽器だと思われています、そしてそう言われてしまっています。
確かに、簡単な開放弦の練習や童謡から始まり、だんだんと細かく速いパッセージや、ポジション移動も数オクターブにわたるものが出てきたり、重音が出てきたり・・・最後にはある1本の弦を弓で弾きながら、別の弦を左手の指でピッチカート(はじく)したり・・・
どうしても、その技術をものにしなきゃ!と意気込みます。
でも、いずれ気づくことなのですが、それだけでは美しくならない・・・華やかなだけ。
技術、テクニックはヴァイオリンをどう扱うか、という物理的な問題です。
自分の生まれ持った体格や指の長さ、腕の長さ、手の大きさ・・・で体の使い方を管理すること。
頭を使って、空間図形をイメージしてトレーニングすること。
それと「どう弾きたいか」、わかりやすく言うと「ヴァイオリンなしで歌うとしたら、どんな風に歌いたいか」という「自分がどう思うか」は別の問題ですね。
どう弾きたいか、は聴くことや好きな演奏に出会うこと、そういう衝動にかられることから始まります。
突き詰めて乱暴に言えば、どう頑張っても、その人の思う音楽を教えてあげることはできません。
その人の思う音楽を、その人本人が技術を持って弾いてくれて、初めて伝わりますから・・・
そこは、呼吸を橋渡しとして技術と「自分がどう思うか」という衝動を結びつけることが大切だと思っています。
その上で。
仲良しのフルート奏者と話したときにこんなことを聞いてみました。
「ヴァイオリンやピアノだと、ほとんどの場合、指でいわゆる華やかな奏法を習得することに時間をかけるけど、フルートだとボタンの操作で技術の勉強は終わるの?」
すると「音色、アンブシュワ(わからないひとはGoogle先生に聞いてみてください^ ^; )、それが全て。その勉強はずっと続く」という答えでした。
思えば、Jascha Heifetzも「音色、リズム、そして音程」と優先事項を語ったそうです。
あの完璧主義者ハイフェッツがいうと説得力がありますよね(笑)
リズムが良くなると、音程が良くなる、よく聞こえるというのは事実です。
最近、自分自身、音色を大切に音程やリズムをどう管理するか、と音階を使って試行錯誤しています。
うまくいくと、どんどん、こういうこともレッスンでお伝えしています!