言語学習についてよく思うのが、
「謙虚であれ」
ということです。
これはもちろん自分が勉強するときに思うことで、決して学習者さんに強要はしていませんが(笑)、
私の周りにいる母国語以外を努力で身につけ、高いレベルにある人たちは
言語学習に対して謙虚です。
はたから見ると「もう十分ペラペラ」な人ほど、
「日本語は難しい、まだまだ勉強が必要」と、謙虚な姿勢で勉強を続けています。
しかしある程度学習が進み、中途半端にわかるレベルに達すると、「自分はわかっている」というプライドが生まれます。
私自身もかつてそうだったのですが、(今は違うことを願う・・・)
「自分はもうそんなことはわかっているんだ。馬鹿にするんじゃない。もっともっと難しいレベルに行けるんだ」
そんな風に思って、丁寧に指導してくれる先生から離れてしまいました。
もっと難しいことを、と願ってまだ受かるレベルに達していない級を受け、もちろん撃沈。
すでに高いレベルにある人をうらやんで、ねたんで、という感じでした。
今思い返しても恥ずかしい学習者だったな、と思います。(笑)
日本語教師になってから、かつての自分のような生徒さんに出会う機会が何度かありました。
ある程度学習しているので、「わかる」というプライドがある。
しかし、いざ問題を出してみると間違える、解けない。
そこをもう一度復習してもらおうとすると
「そこはもうやった。わかっている」の一点張り。
教える側として、大変困惑したのを覚えています。
自分が教える側になって初めて、基礎の大切さと謙虚な姿勢が
言語学習において非常に重要なのだと痛感させられました。(遅い笑)
これは言語学習だけではなく、学習一般に通じることだと思いますが、
変にプライドが働いて、まだ十分に理解していないところをなおざりにすれば
学習を進めていくうちに、必ずつまずく部分が出てきます。
一方、ある程度理解したとしても、さらに基礎を固めておけば
土台がしっかりしているので基本的な誤用を減らすことができると思います。
現在私は日本語を教えつつ、タガログ語を勉強しています。
ほとんどの生徒さんは、すでにレベルの高い状態にありながらも、謙虚に勉強をつづけている方ばかりです。
自分も生徒さんたちにならって、かつての自分みたいにならないよう、謙虚に学習を進めていきたいと思います。
最後まで読んでいただいて、ありがとうございました。^^
miki Y
miki Y
2018年 3月 9日
Marling.YE先生
コメントいただき、ありがとうございます!そうですよね、大きな”自分”という壁。
素敵な先生ですね。「”わかる”と”できる”は違う、”わかる”までは比較的簡単、でも”できる”まで到達するのに時間がかかる」この言葉、私も胸に刻ませていただきます。
謙虚さと素直さ、この両方を持ちながら私も日々精進していこうと思います^^
Marling.YE
2018年 3月 9日
Mikiさん、120%同感です。学習者としても講師としても全く同じような経験をしました。特に、学習レベルが中級になってくると、表れる大きな”自分”という大きな壁。私がいつも伝えるのは、私が実際に昔、先生から言われた言葉です。「”わかる”と”できる”は違う、”わかる”までは比較的簡単、でも”できる”まで到達するのに時間がかかる」 自分の今までの生徒さんたちにも、時々伝えてきました。。。。特に”自分の壁”が分厚い方がいると、自分を見ているようで、辛いですが、なんとかこの壁を越えられますようにと授業しています。 一方で、やはり心を開いている方、素直な方は、伸びるスピードが全く違うと痛感します。(羨ましい。。。) そして、素直な方に共通することは、笑顔です。間違って恥ずかしくっても、さわやかに受け入れて、そして笑顔でいるという印象があります。新しい言語を学ぶことは、自分の中にもう一つのIdentityを作り上げる事だと思うので、間違いを指摘されたり、発音を直されることは、その人自身を否定しているように感じるという部分もあるのだと思います。教える度に勉強になります。日々精進。