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Cafetalk Tutor's Column

MURATA 講師的專欄

「聴覚障がい」の言葉はどうなのか。自分に疑問を出してみた。

2018年4月23日

私は耳が聞こえない。

不自由でもない、障がい者でもない。

ただ聴こえないだけ。
生まれたとき、なぜ聴こえないの?という葛藤は全くなく、自分の誇りをもって生きてきた。

なので、障がい者と言われても平然です。

しかし、障がい者だから可愛そう、サポートしてあげないと不自由になってしまう、障がい者は一方的な発言が多い、など不快なことを言われてしまう。

ありがた迷惑。なかなか自立できずに居てしまう。

「不自由」「障がい者」のことばは医師や福祉たちが作ったものと思う。

不快な言葉を受け入れるけど、相手は言ってはいけないんだという意識はまったくなく、ズバッと言ってくる。相手側は「当たり前」と思っているが、私は非常識と思う。
変な誤解はやめてほしい気持ちを毎回抱く。

「障がい者」の言葉をなくすことができないけど、村田のことをアピールして、知ってもらい、「良い縁」をつないでいく。

みんなとちがうところは、表情をみたり、心を読んで相手の気持ちが分かるところ。

声は聴こえないけど、相手が話すと、心の声が聴こえる日がある。

何言ってるのか分からない。表情をみてどんな気持ちなのか、何を考えているのか、どんな性格なのか、などが分かる。

ときには、誤解をしてしまう日がある。これは失敗。こういうことにならないようにきちんと意志を伝えることが大切と常に思っている。
私は文章または言葉にすることが苦手だけど、意志は懸命に伝えている。

以上、私の考える「障がい者」と言われる気持ちとそれに対する私の意志です。

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