ドラマー/パーカッショニスト - 小川慶太さん VOL.1

Tutor Ogawa concert

カフェトークでは世界で活躍する日本人にインタビューをするという企画をしており、第一弾として、 「ドラマー/パーカッショニストの小川慶太さん」 にインタビューを行いました。今回、小川さんが長崎佐世保にて、高校時代までカフェトークの伊藤パパさん講師のリアル教室でピアノを習っていたというご縁でこちらのインタビューが実現しました。

小川さんは京都生まれ長崎・佐世保育ち。第59回グラミー賞で3度目となる受賞を果たし、現在進行形の音楽シーンをリードするスーパー・ユニット、スナーキー・パピー(SNARKY PUPPY)の一員であり、そのほかにも世界的ミュージシャンとの共演を繰り広げる今最も熱い日本人ミュージシャンの1人です!

★どうやって世界へ飛び出していったのか? ★チャンスをつかむには? 世界の第一線で活躍する小川さんから、音楽に留まらない成功へのヒントを伺いました。 (インタビュアー:カフェトーク代表 橋爪)

video thumbnail
North Beach Bandshell

North Beach Bandshell, Miami Beach, FL., 2-12-2017 第59回グラミー賞受賞が伝えられた

★ドラムを始めたきっかけ

小学校5、6年生くらいのときに、TVで見たドラムのソロ演奏に衝撃を受け、憧れたのが始まり。中学校に入って、続けていたサッカーの仲間とバンドを組むことになり、そこでドラムを始めました。その時は遊び程度でしたが、中学卒業の時に地元のライブハウスで卒業ライブを開催。その時に単純に楽しくて、ずっと音楽をやっていきたいという夢ができました。

とはいえ、高校は進学校に入学。卒業ライブを行ったライブハウスのオーナーの奥さんに、ピアノもやったほうが良いよと言われ、伊藤先生(の奥様)をご紹介してもらい、高校2年から習い始めました。

★ライブ喫茶での運命の再会!

その後通っていたライブ喫茶でライブの映像を流していたんですが、ある時、小学生時代に見た映像が流れていたんです。なんとそこでドラムを叩いていたのはそのライブ喫茶のマスターではありませんか!?

目の前のマスターと映像の中の憧れのドラマーが同一人物だとそれまで気が付かなかったので、大変な驚きでした。(運命ですね~)

★バイエルからいきなりショパン!?

ピアノは高校2年のときにバイエル上下巻から始めました。早く終わらせたくて、ばーっと練習をしました。終わった頃、発表会があるんだけど出てみないか?と勧められました。

そこで、先生に曲を選んでもらって、練習を始めたのがショパンの「雨だれ」でした。バイエル終了後、ひたすら「雨だれ」を発表会まで暗譜するまで練習をしました。

Tutor Ogawa image

★神戸から東京を経てボストンのバークリー音楽大学へ。

高校の後、ライブハウスのおばちゃんに「バークリー」という学校がアメリカにあるんだよ、と聞き、そこと提携していた神戸の学校に進みました。 提携をしているので、試験を受けたら奨学金をもらって渡米する生徒が結構いたんです。 そういうのを見ていたら、ちょっと天邪鬼的な気持ちになって、バークリーに行く気持ちが弱くなってしまいました。 そんな中、卒業の前に東京からプロのミュージシャン(パーカッションの仙道さおりさん)が来るから前座をやらないかという話がありました。

ライブで(仙道さんのパーカッション)演奏を聴いて、とてもショックを受けました。面白そうだ!と思い、ちょうどボウや(付き人)を募集していたので、応募して採用されました。仙道さんも関西でのボウや(付き人)だと思っていたみたいですけど、東京にまで引っ越してくると思っていなかったみたいで、驚かれました。 その後の約1年、全国ツアーに同行したりして、日本の一流ミュージシャンの演奏を聴いたり交流が始まりました。いろいろな人の話を聞いていると、また海外へ行く夢が膨らみ始め、その後ついに渡米することになりました。

★バークリーでのカルチャーショック

入学前、なにも知らないから、ちょっとナメてかかっていたんですよね。ところがバークリーに入学する直前、先輩が演奏するからって誘われて学校近くの老舗のライブハウスに行ったんです。そしたらスゴイ演奏が繰り広げられていて、一撃されました。もう「ヤバい。こんなの見たことがない!」と思いました。

今はビヨンセのドラムを担当しているほどの人なんですけど、彼女は当時19歳だったみたいです。もうスゴいショックと共に、めちゃくちゃ楽しくてその後も通い続けました。 (ショックを前向きにとらえられるのがやはりスゴイですねー。カルチャーショックとかなかったですか?)

カルチャーについては、いろいろありますね。 アメリカは歴史的なことで、人種的にセンシティブな部分もありますしね。みんなが話しているのを聞きながら、少しづつ学んでいった感じですね。

★小学一年生から習っていた英語は役に立たなかった?!

小さい時に、自分から親に頼んで英語を習っていたんです。 ところが留学前は200点満点と100点満点のテストの結果を勘違いするくらい、ヒドイ点数でした。勝手に100点満点の試験結果だと思って送ったものが、実は200点満点の結果だったみたいで、バークリーから「この点数では絶対無理だから」と学期が始まる前の3か月くらいのプログラムに参加しないと入学できないと言われて通いました。 そこでは、音楽に使う英語を中心に習いました。

バークリーには結構日本人も多いので、なかなか英語だけの環境にはできなかったですね。 かたくなに日本人(語)を拒む人もいましたけど、それはちょっと違うかなって思ったし。 実際に不自由なく英語を使えるようになったのは、卒業して日本人がいない環境で仕事をするようになってからですね。

★ブラジルに行ったきっかけ

ボストンって、ブラジル以外でブラジル人人口(密度?)が一番多い街なんです。なのでブラジル音楽を演奏することが多いんです。 ちょっと違う場所で音楽に触れたいなあと思って、バークリー最後の年に3か月間行ってみたんです。そしたら、やはり百聞は一見に如かず、という通りでした。YoutubeやCDで聴いていたものが、現地の空気の中で触れてみると、全然違っていたんです。 本当に3か月間、ブラジル音楽に没頭しました。毎日ライブに通ったり、レッスン取ったりしていました。とてもディープな音楽経験でした。 ブラジルから戻ってから、改めて大きな経験・大きなモノを得た気がしました。 その後卒業し、半年後、NYに行きました。

スナーキー・パピーのマイケル・リーグに会ったのはNYに行ってからですね。まだマイクはテキサスにいました。 オハイオ出身の僕の先生のジェイミーから「今レコーディングスタジオにいるからちょっとパンデイロ(ブラジル風タンバリン)を一曲演奏してくれないか?」と呼ばれたんです。 そこでベースを弾いていたのがマイクでした。 ”Tell your friends”というCDを出していたばかりの頃で、「スナーキーパピーというグループをやっているんだけど」と言っていました。NYにくるんだったら、一緒にやろうとその時に話をしました。

マイク自体はとてもオープンで、いろいろな人を呼んで演奏する人で、音楽的に合うと、良くよばれて・・・と気が付いたらメンバーになっていた、という感じです。

マイクもみんな、それぞれ大したことない(レベル)ところから始めたんですよね。 18,9歳くらいで若かったし、成長段階でみんな同じ立場だったんです。そこでいろいろな素晴らしいミュージシャンと一緒にやることで、成長した感じです。 最初からあのレベルだったわけではないんです。 そしてツアーのコンサートの日程がすごいんですよ。それをこなしていくことで成長していったのかもしれません。

ビジネスの面でも、マイク・リーグはセンスがあって、ツアー中でもいろいろなところでワークショップをやったり、ミュージックビジネスのことを教えたりしています。 ミュージックビジネスって、みんなよくわからずに手探りでやっているんですけど、自分たちのやってきたことを全部さらけ出して共有しているんですよね。ミュージックビジネスの一番大事な部分はなかなか教えてもらう機会がないんです。だからみんな貪欲に学んでいます。 マイクは自身のインディーズレーベルを持っていたんですけど、周囲の人を巻き込んでユニバーサルと契約してメジャーレーベルになっていったんですよね。 マイクも周りの人とお互いにヘルプしあって、一緒に大きくなっている感じがあります。

スナーキー・パピーの人数は全体で20人くらいですね。(40人とか書いてある記事とかありましたけど、あれは間違いです。笑) みんな同世代くらいで、仲の良い友達という感じです。ミュージシャンとしても尊敬している仲間です。 みんなマイク・リーグを慕って集まっています。

Ground Up Music festival

★スナーキー・パピーの音楽の作り方

楽譜は使いません。音源を共有して使っています。ライブでお互いを信頼・信用して音楽を作っています。

全体のバランスとしては、好き勝手にやっているわけではなく、お互いに意見は言うけど、スナーキー・パピーはマイクのバンドなので、最終的にはマイクが決めます。 彼自身はとてもリラックスしてオープンな人間なので、ストレスなくやっています。 音楽的なことでぶつかることも無いですし、なにか共通のセンスや音楽への理解を持っている気がします。

★今後の活動について

特になにか強い目的があるわけではありませんが、今やっているグループやプロジェクトでいろいろな人と一緒に良い音楽を生み出せていければと思っています。

それから自分の作品や自分のグループをやっていきたいなあとも思っています。

★これから音楽や、音楽に関わらず世界にチャレンジしていきたい方に、メッセージをお願いします。

まずは諦めずにぜひ続けてがんばってください。 そして周りにいる尊敬できる人をお手本にして、少しでも近づけるように努力していったら、良いのでないでしょうか。

壁は必ずあります。でも壁を乗り越えるときが実は一番面白いときです。それがあるからこそ、進んでいけますし、続けていけば必ずチャンスがあります。 ただ、チャンスって分かりづらいこともあるんですよね。 それをつかめるかどうかは、自分がちゃんと準備できているかということになると思います。 どんなことにも対応できるための下準備への努力をして、来たチャンスを確実にモノにすることが大切だと思います。 最初に与える印象も大事ですし、その大きなチャンスをつかんで、そのあとも声をかけてもらえるようにすることが、大切だと思います。

相手の要求していることをくみ取って、それにピッタリ応えられる準備をすることが重要だと思います。

★ヨーヨー・マとの共演とチャンスのつかみ方

一人で音楽をやっていると、いろいろなグループやプロジェクトから声がかかるんです。 アルゼンチン人の現代作曲家オスバルド・ゴリホフが作った、ヨーヨー・マとボストン交響楽団への曲があるんですけど、それではパーカッションが2人必要なんですよ。 僕の先生のジェイミー(ハダッド)とブラジル人のパーカッション奏者がやる予定だったんですけど、ブラジルの方がそのときできなかったらしいんです。

それで、ブラジルから戻ってきたばかりの僕にジェイミーが声をかけてくれたんです。 実際やってみると、ものすごくテンポが速いところがあって、その時は対応できないところがあったんですけど、ひたすら練習をしてできるようにしたんです。そしたら作曲家に気に入っていただけて、その後の彼のプロジェクトにも呼んでもらえるようになりました。

その時は、クラシックのホールで、オーケストラと指揮者がいるコンサートって初めてだったんです。だから全くイメージが湧かなかったんですけど、自分に求められていることがなにかを汲み取って、必要なことを準備できるかどうかが、チャンスをつかむことに大事なんだと思いました。

いろいろな「初めて」のことが多いんですよ。 準備ができていないと、不安や心配で実力が発揮できなかったりするんですけど、 自分の中で、準備してきたことはできる!と自信を持つことができれば、対応できるのではないかと思います。 実は当時、ヨーヨー・マのことをよく知らなかったんです。名前だけ知っていたけれど、どれだけ偉大な音楽家かなのかって知らなかったんです。それが返って良かったのかも。

新しいことをやるときに、あんまり情報がないほうがすんなり飛び込めるかなーと思います。準備段階で情報収集しすぎると、僕の場合はそれが邪魔することもある場合がありますので。邪魔な情報はブロックしています。

コミュニケーション能力は大事ですよね。語学云々ではなく何かしらの手段でコミュニケーションを取れるようにしたいですよね。日本人には難しいですけど。みんなシャイなので。ちょっと劣ってしまう点ですよね。

実力ももちろん大事ですけど、人柄って大事ですよね。 いろいろな人とやっていくと、演奏が素晴らしい人って、人柄もメチャメチャ素晴らしい方が多いんですよ。スナーキー・パピーのマイケル・リーグもそうですし。 今回原宿にみんなでラーメンを食べて行ったんですけど、その時にファンに声をかけられたんですね。そしたら本当に気さくに話をしたりして一緒にセルフィーを撮っていました。マイケルは本当に気取っていなくて、マメで、素晴らしい人です。 コンサートの後に一人でCD物販のところに行ってサインをしたりして、ファンも大事にしています。 周りが寄ってきたくなるような人柄ですね。マメですし。センシティブな感情も分かってくれて、人種とか文化とか超えて感じ取れる人なので、仕事もしやすい人です。周りが寄ってきちゃう人ですね。

---チャンスをつかむための準備、情報過多にならないこと、できることに自信を持つこと、そして人柄・・・。音楽だけに関わらず、それぞれの分野で活躍するための貴重なヒントをいただきました! これからの小川慶太さんの活躍が楽しみですね♪ 

近い将来カフェトークでの特別レッスン提供も企画中です!乞うご期待♪

お気軽にご質問ください!