Cafetalk Featured Tutor Interview

Yuko

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Yuko Tutor Interview

Q. Yuko先生こんにちは!!現在ニュージーランド(以下NZ)に在住との事、お住まいの街のことを教えて下さい。

A. 私の住んでいる街はDunedinという、NZの南島の南の端っこにある街です。もともとスコットランドの人たちが移住し造った街ということもあり、スコティッシュのお土産物屋さんや、街中でバグパイプ(スコットランドで有名な楽器)を演奏している人も見かけます。また同時にここはOtagoという地域で、その名はNZの先住民族であるマオリ族の言葉に由来するそうです。ここにはUniversity of Otagoという、NZで最も古い大学があり、同時に2万人以上の学生を抱える学生都市でもあります。NZは一般的に「一日の中に季節がある。」と言われるくらい天気が変わりやすい気候ですが、ここDunedinのお天気はまさに4シーズンを1日で体験させてくれます(笑)。朝晴れて気持ちの良い日でも、昼過ぎには土砂降りで一気に冷え込むというのはほぼ日常的に起こります。友人たちの会話の中にも、毎日のようにお天気への不満が出てきますが「まぁ、ここはDunedinだから仕方ないよね。」という感じで終わることがよくあります。今の季節は一応夏ですが、気温は上がっても23度から25度くらい。陽射しはとても強くて、ジーンズをはいていても中まで刺してくるように感じることすらあります。でも風は強くて結構冷たい日が多いので、どんなに晴れていても海水浴を楽しむ感じではありません(悲)。特に西日本出身の私にとっては、夏でもここの海水の冷たさにはとても耐えられません。もしDunedinに来られる機会があれば、雨具はもちろんのこと、薄手と厚手のジャケットを1枚ずつ持参されることをお勧めします。

Q. 先生のNZでの暮らしのことを少し教えて下さい。サルサダンスは始められてどのくらいになりますか?

A. LOL! サルサを始めたのは実は日本です♪3年半くらい前だと思います。もともと踊るのが大好きなのですが、気まぐれで始めたラテンダンスの魅力にどっぷりはまってしまいました(笑)。サルサだけでなく、バチャータやメレンゲ、チャチャチャなど、一般的なラテンの社交ダンスはどれも大好きです♪サルサは世界的に普及しているので、Dunedinは決して大きな街ではありませんが、それでもサルサパーティは毎週開かれています。毎年首都のウェリントンではサルサコングレス(サルサの大会)が開かれているそうなので、ここにいる間に一度は行ってみたいなと思っています。でも決して常にエンターテイメントを求めているわけではなく(笑)普段はどちらかと言うと静かに過ごす方が好きです。NZは自然にとても恵まれているので、きれいなビーチの海岸や、緑に囲まれた公園がいたる所にあります。何も考えずにぼ~っとただ海を眺めるのは得意です(笑)。またそんなビーチや公園の近くには必ずカフェがあるので、波の音や鳥の声をBGMにコーヒーを飲むのも私のお気に入りの休日の過ごし方です♪

Q. ボランティアやNPO団体での活動をされているとの事ですが、“Save the Children”や、“SPCA” では、どんな活動をされているんでしょうか。

A. Save the ChildrenはイギリスでできたNPO(非営利団体)で、紛争や災害で被害を受けている子どもたちを支援している組織です。NZの本部は首都のウェリントンにあり、Dunedinにも支部のような感じでショップがあります。ここでは主にNZのお土産物や、フェアトレイド商品を販売しており、その収益を活動費に回しています。昨年の東北の大震災の際にも、Save the Childrenからの援助が日本へ届きました。私はこのショップで、主にお店番や、品出しのお手伝いをしています。また、今月末にスタッフの方や同じボランティアさんたちのための新年会のような集まりがあり、そこで「シエラレオネの少年兵」に関するプレゼンテーションをさせていただくので、現在そのプレゼン作りと練習に追われています。SPCAはSociety for the Prevention of Cruelty of Animalsの略で、日本では動物虐待防止協会(SPCA Japan)として知られています。NZにはSPCAの施設がたくさんあり、そこには捨てられたり、虐待を受けたりして保護された動物たちが暮らしています。犬や猫たちだけでなく、野生の鳥や小動物、羊(NZらしいですが)そしてポニーが保護されたこともあるそうです。獣医さんも含めて、24時間、365日スタッフが常駐し、アニマルレスキューに備えています。ここでのお仕事は主にお掃除。私の担当はたいてい猫ちゃんたちですが、オスとメスと子猫に分けられた3部屋にはだいたい常に20匹前後の猫たちが生活しています。トイレ掃除、床掃き、タナ拭き、モップ掛け、そしてご飯タイム。すべて一人でやれば1部屋につき軽く3時間はかかります。ここでも、ボランティアさんたちの存在は本当に欠かせません。でも皆さん(私も含めて)結構癒されて帰ります♪ また保護されている犬たちを、ボランティアとして散歩させてもらうこともできます。毎週末(これもやっぱりお天気次第ですが)、夫と二人でSPCAを訪れて犬の散歩を楽しんでいます♪ というのも、SPCAは動物保護の観点から、NZ国籍、あるいはNZの永住権を持っている人にしか動物たちを決して譲渡しません。残念ながら私たちはその両方を持っていないので、SPCAから動物たちをもらうことはできませんが、それでもこうやって様々な辛い過去を抱える動物たちと触れ合えることに幸せを感じています。

Q. プロフィールにあるように、英語習得の為に様々な努力をされていますね。一番効果があった勉強方法はどんな事でしたか?

A. うですね。。。実は私、高校生の頃は英語嫌いだったんですが、そもそも嫌いになった理由は、「何でそうなるの?」ってことを深く突っ込んじゃう性格が一つの原因だったんだと思います。また日本の英語教育の中ではその「なぜ?」に答えてくれる仕組みがあまりありません。「丸覚え」が絶対条件、そんな雰囲気は当たり前なのではないでしょうか。例えば、過去形が過去を表わすために特殊な形になるのはまあ理解できるとして、なぜ仮定法や丁寧表現まで過去形になるの?と考え出すと、もう止まりません(笑)。前置詞って何で30個とか意味があるの?英語のネイティブスピーカーはその30個を覚えているから前置詞を正しく使えるの?みたいに(笑)。こんな私の性格というか、性質というか、とりあえず納得できる答えを探し求めてたどり着いた結論が「フィーリング」でした。その単語なり、文法表現なりが持っているコアの意味を感じることで、理屈ではなくて感覚で英語を理解してみようという試みです。あるイギリス人の知人に、こんなことを聞かれたことがあります。「どうして日本語にはひらがな、カタカナ、漢字があるんですか?」その質問に、まだ英会話初心者だった私は拙い英語で答えました。「漢字は昔中国から来て、その漢字を元にして、ひらがなとカタカナを日本人が作ったからだよ。」そうすると彼はさらにこう突っ込んできました。「漢字があるのは分かったけど、ひらがなとカタカナって両方必要なの?」皆さんなら、何て答えますか?もちろん、必要だからあるんです。ではなぜ必要なのでしょう?それは、日本人の方なら皆さん知っていると思いますが、ひらがなとカタカナはその持っている役割が違います。役割が違うからこそ両方必要なんです。この感覚は、日本語のネイティブが感じている日本語の理屈ではなく「フィーリング」なのではないかと思います。つまり、語学習得にはある程度の丸覚えは必要ですが(例えばアルファベットや単語のスペルなど)本当に感情を乗せて話すようになるためには、この「フィーリング」をゲットするのが必要なのではないかと感じるようになりました。そこで、英文法の観察研究を始めたのですが、これにまたサルサのようにはまってしまいました(笑)。必要のない物は存在しない、逆に言えば、必要だからあります。中学校で、「will=be going to」とか「must=have to」と習いますよね。でも、これらは決してイコールではありません。二つが同じ意味なら、別に無くてもいいんです。でもひらがなとカタカナのように、同じではなく違うから必要で、存在しているんです。もちろん暗記の得意な方には、暗記が一番効果的で早い語学習得方法だと思います。でも私のようなズボラで、しかも文法表現にいちいち「なぜ?」と突っ込んでしまう人間には、文法や単語のコアの意味を探ってみることをお勧めします♪

Q. 現在もセミナーなどに参加されているという「平和・紛争解決学」とはどんな事を学ばれるのでしょうか。

A. 本当に簡潔に言えば、「戦争や紛争の無い平和な世界を造るための学問」です。でも一口に紛争と言っても、人々が銃を向け合って傷付け合う紛争から、夫婦喧嘩や子どもの喧嘩まで、その定義は非常に難しいとされています。しかし、一般的に大学や大学院で学ぶ平和学や紛争解決学は、戦争(戦争は国と国との争いごとです)を含めた紛争、地域・民族・宗教などの間で起こる争いを指しています。現在起こっている紛争に関しては、どのようにその紛争を止めることができるのか、またこれから起こりそうな紛争に関しては、その紛争が起こらないようにするためにはどうすれば良いのか、またさらに進んで、今後一切紛争が起きない世界を構築していくために何をすべきなのかを研究します。またそれだけではなく、戦後処理、特に専門用語でDDR(Disarmament, Demobilization, Reintegration:武装解除、動員解除、社会復帰)と呼ばれますが、軍隊を解体して武器を回収し、元兵士たちに仕事を提供すること、つまり紛争が終わった後、再び同じ場所で紛争が起こらないようにするためにはどうすべきなのか、を探ることもコアとなるトピックです。実はこのDDRの分野で活躍されている日本人の方は既に何人かいらっしゃいます。そういった方たちは私の憧れの存在で、とてもカッコよく聞こえますが、実際は命がけの仕事です。私が参加している平和学のセミナーのとても面白い点は、プレゼンテーターが必ずしも平和学の分野からの人たちではないという点です。時には宗教、時には文化人類学、時には地理学、統計学、歴史学など、様々な分野の研究をされている方々が、その分野から行う平和へのアプローチについてセミナーを行います。つまり、平和学を学んでいる人たちだけでなく、どの分野からでも「平和」について考えることは可能であり、どの分野からでも「平和」への貢献はできるということです。平和学は、平和研究の際の学者さんたちの集いの場と言えると思います。

Q. 英語講師のご経験を教えて下さい。

A. NZに来る前に1年半ほど、子ども英語の分野では大手の会社で英語講師をしていました。生徒さんは年少さんから高校3年生、そして大人の方まで、だいたい40人くらいです。私は子どもが大好きで、英語も大好きなので、大好きな英語を大好きな子どもたちと勉強できるという、私にとってはまさに一石二鳥のお仕事でした♪ 年少さんから小学校中学年くらいまでの生徒さんたちとは、一緒に子どもになったつもりで遊びながら英語のレッスンをしていました。まだじっと座っているよりも、体を動かす方が得意な年代なので、一応教科書やノートブックはありましたが、机とイスよりマットの上でアルファベット取りゲームをした方が子どもたちはイキイキとレッスンに参加してくれましたし、runは走るという意味を伝えるために自分だけ走っても子どもたちは楽しくもないし、runのフィーリングを感じてはもらえないので、できるだけ50分をアクティブに過ごしてもらえるよう心掛けていました。 それ以上の学年の子どもたちになってくると、そのクラスの性格にもよりますが、できれば座ってレッスンをしたい、人前で体を動かすことが少し恥ずかしいと感じるようになってくるので、そういう子どもたちには机の上でできるゲームや、ホワイトボードでできるゲーム、そして実践的なリーディングをしていました。 大きな会社はきちんとしたマニュアルがあり、テキストがあり、コース分けもしっかりされているので、講師の側にとってみればかなり楽ではあります。しかしそこにはやはり大きな落とし穴があり、私はそこに疑問を感じていました。それは、マニュアル優先主義ということです。「この学年の子どもたちはここまで理解できるはずだから、こういう風にやって下さい。」これはあまりにも子どもたちを無視した指導方針だと思いました。子どもは大人と違って個人差が大きく、「だいたい」は言えても「絶対」は言えません。お家でよく復習したりCDを聞いている生徒さんの英語力は、そうでない生徒さんと比べれば実力の差、理解度の差となって現れます。基本的にマニュアルは講師の言うことをよく聞いて、宿題をきちんとこなし、またお家でしっかり復習している「理想的な生徒」をモデルにして作られています。 しかし、子どもたちにだって色んな都合があります。英語教室だけでなく、そろばんやピアノに通っていたり、学校でクラブ活動をしていたり、あるいはゲームや友だちと遊ぶことに夢中になったりと、忙しいのはしょっちゅうです。それを差し置いて英語をやりなさいとは言えないし、むしろそういう「英語を含めた色んなアクティビティ」を楽しんでいる方が子どもらしいと私は思います。 マニュアルは大事ですが、絶対ではありません。私がレッスンを行う際に大事にしていたこと、そしてこれからも大事にしていきたいことは、生徒さんのためのレッスンということです。生徒さんによって英語を学ぶ理由や熱意、英語学習にかけられる時間は違いますし、また違って当然だと思います。レッスンするにあたって私が常に心に留めていることは、英語の楽しさと良さを伝えるまさに英語大使の役目をしているんだということです。

Q. 先生のレッスンの中で、子供向けコース「えいご魔法魔術学校」がありますね。50分間のレッスンですが、どんな展開で進められるのでしょうか。特徴などもご紹介下さい。

A. 歌やチャンツをたくさん取り入れたレッスンにしていきたいと思っています。歌も、英語の歌をただ歌うことだけが目的ではなく、西洋の子どもたちならたいてい知っている歌を選んでいます。英語に触れることは、西洋の文化にも触れるということなので、英語だけではなく西洋の世界に興味を持ってもらうという目的があります。 レッスンはその生徒さんによっても若干変わってきますが、基本的に歌から簡単な会話表現を学んでいただき、それを私とではなく、ママやパパとやり取を通して練習して欲しいと思っています。私とだけのやり取りでは英語に触れるのはレッスンの時だけ、という形になってしまいます。これではなかなか身に付きません。レッスンはぜひお家の方と一緒に参加していただき(ママでもお兄ちゃんでもおばあちゃんでもかまいません)、その日に学んだ表現を、お家の中で使っていただきたいと思います。50分なので、一回のレッスンの中で出てくる歌は5曲前後だと思います。もちろん歌だけではなく、3分~5分程度のお話タイムも入ってきます。またアルファベットもぜひ少しずつ覚えていって欲しいので、アルファベットや数字や色を習う時間も入ってくるかと思います。基本的に流れは、歌と会話表現、アルファベットや色、数字、お話タイム、そして歌(できるだけアクティブな)という感じで流れていきます。 でももちろん、主役は子どもたちなので、お歌やチャンツの方が好きなようであればそちらをたくさん取り入れますし、恥ずかしがりやさんで、お歌はちょっと苦手という子どもさんにはお話タイムや、お家の方との簡単なやり取り、ゲームの時間を長く取ります。また小学生の子どもさんであれば、もう少し進んでアルファベットを書いたり、簡単な単語を読んだり、短いフレーズを言ってみることも増えていきます。レッスンは基本的にすべて英語で行いますが、これは子どもたちに、「英語」と「日本語」の区別をつけて欲しくないからです。日本語でも英語でも、子どもたちは差別無く楽しいものは楽しいと感じてくれます。その子どもらしさを存分に使ったレッスンをしていきたいと思っています。

Q. カフェトークの生徒のみなさんへコメントやアドバイスをお願い致します。

A. 私も一人の語学学習者として、語学習得のためのラーニングティップスには非常に興味があるところですが、英語に関して言えば、ムリをしないこと、英語を楽しむこと、そして目標を持つことがとても大事だと思います。でも、おそらく一生懸命勉強されている方々は、もう既にそんなことには気付かれているのではないかと思います。なので、もう一つだけ、生徒の皆様へコメントするとすれば、決して「ネイティブのようになりたい!」と思わないでいいということです。 私も英会話を始めた時は、その最終的な目標として「英語のネイティブのように流暢に、カッコよく英語を喋れるようになるんだ!」と思っていました。でも勉強を続ける中で、また特にNZに来て英語を母国語としないたくさんの人たちに出会い、「英語を使える日本人」でいいんだ、と気付くようになりました。どういうことかと言えば、英語を第一言語として使う人たちとコミュニケーションをとったり、ビジネスをしたりするために英語がある程度使えることは最低条件となってきますが、逆にネイティブのように喋れなくても、十分やっていけるということです。 私がこちらの語学学校に通っていた時、担任の先生が面白い新聞記事を見せてくれました。皆さん、世界中にはたくさんの言語がありますが、どの言語が世界で一番単語の数が多いと思いますか?当時クラスには私(日本)を含めて6か国から来た学生がいました。皆が出した結論は、中国からの生徒は中国語、タイからの学生はタイ語、サウジアラビアはアラビア語、ヴェトナムはヴェトナム語、チリはポルトガル語、そして日本人の私は日本語だと思いました(笑)。 先生は、あっさり「It’s English.」と答えました。皆大ブーイングでしたが、その記事によれば、現在英語は100万語の単語を抱える言語になっているそうです。なぜだと思いますか?「Karaoke」や「Hibachi」に代表されるように、たくさんの日本語が英語になっています。それと同様に、英語になっているフランス語、中国語、イタリア語etc…つまり、グローバル化の中でもともと英語圏には無かった言葉が輸入され、それがある程度の時間をかけて「英語」として立派に辞書に載ってしまうからなんです。 それだけではありません。「screen age」のように時代の変化とともに、新しく生み出される英単語はもう止めることはできませんし、これからも増加の一途をたどると思われます。もちろんその中で、使われなくなって辞書から消えていく単語もあると思いますが、増えていくスピードがとても速く、逆に消えていく単語は少数です。つまり、英単語は特に英語を母国語としない人たちにとって、覚えても覚えてもテッペンの見えない高い壁になってしまう可能性が非常に高く、そう聞けばやる気なんてなくなってしまいます。 でも、大丈夫です♪ネイティブのように喋れなくても、ネイティブのように読めなくても、ネイティブのように書けなくても、英語圏でちゃんとやっていけます。私と同じクラスにいたクラスメイトたちは、誰もネイティブのように話したり書いたり読んだりできませんでした。でも皆、大学院に進学しました。大事なのは、英語を母国語としないことが、必ずしも障害になるとは限らないということです。そこで大事なのが、最初にも言ったように「英語を使える日本人」になることです。決して英語のネイティブではなく、日本人でいいんです。カタカナ英語でもいいんです。日本人らしい英語でいいと思います。私にとって英語は、世界の人たちと繋がる魔法の言葉です。魔法を使いこなすために、魔法使いになる必要はなく、魔法が使えるようになれば、自然に魔法使いと呼ばれるようになります。ぜひ皆さん、自分は第二言語を勉強しているノンネイティブスピーカーだということに胸を張り、自信を持って、英語を楽しんでください♪

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Yuko


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