最初に作っていたのは、
いわゆる「狼らしい狼」だった。
正面を向き、
強さがあり、
それなりに美しい。
けれど、どこか引っかかっていた。
安全だった。
正解だった。
でも、記憶には残らない。
私は途中で、AIにこう言った。
「本気を出してください」
「安全な正解を捨ててください」
煽った、という表現が近いかもしれない。
そこから、少しずつ変わり始めた。
アングルを変えた。
視線を外した。
構図の中心から外した。
それでも、まだ“それっぽさ”が残っていた。
狼は強く、
狼は美しく、
狼は分かりやすかった。
ある時、ふと思った。
私は本当に、
「狼」を描きたいのだろうか。
それとも、
狼がいた痕跡を描きたいのだろうか。

最終的に、狼は画面から消えた。
残ったのは、雪の中の足跡だけだった。
そこにいたことは分かる。
群れの先を歩いていたことも、たぶん分かる。
けれど、
もう名を呼ばれることはない。
このやりとりは、
AIの性能の話ではない。
表現において、
どこまで安全を捨てられるか。
どこまで見る人に委ねられるか。
その話だ。
※本作はAIを用いて制作しています
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