今日は、日本語教師の方向けに「認識論」をテーマにレッスンをさせて頂きました。
ざっくり認識論とは、
私たちはどのように知っているのかという問いを体系付ける学問のことです。
受講して下さった方が、
「ChatGPTに画像を作成して欲しいときに、細かい指定をしてもなかなか満足のいくものにならない〜」とおっしゃっていました。
これは、新しい言語を学ぶこととも関係しており、非常に興味深い話だと思いました。
なぜなら、人工知能とは人間の脳をモデリングしたものですが、一人ひとりの内部表象は異なるからです。
「りんご」という言葉を言った時に、
日本語を学ぶ方と、日本語を母国語とする方が思い浮かべるりんごは同じでしょうか。
どんな姿を想像するかは、人それぞれであり、そこにまつわるりんごの映像は変形を重ねた過去の記憶の再構築です。そして、何を母国語とし、どこで生まれ育ったかによって物を知覚する方法は異なるのです。
また、目の前にりんごがあったとしても、
人間はありのままに見ることはできません。なぜなら一度見たものは見た気になっているからです。
私たちは目の前にある大量の光子全てを認識することはなく、網膜が捉えられるだけの光子を後頭野で処理しています。その処理の際に歪曲や削除が起きています。
こうして出来上がった内部表象は、現実とは同一のものではないにもかかわらず、私たちは、それを現実世界だと思い込んでしまいます。
言葉や文化が違うから、細かなニュアンスが伝わりづらくなるのではなく、インプットの知覚の仕方がそもそも異なるのです。
日本語を話す人と、外国語を話す人の認識論について学ぶことで、
より深層に迫った日本語や外国語の実態を知ることができるでしょう。
ご興味ある方のリクエストお待ちしております!
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