祖父の作品で手元に楽譜を持っていたのは二曲のみ。
実家から取り寄せた第一弾が10曲以上...
第二弾で数曲が届く予定。
今ピアニストさんにも楽譜を共有しつつ、プログラムの選曲を進めています。
一緒に届いた資料を見ると
高度経済成長時代、音楽雑誌上でお題を提示→応募→作曲の公開添削みたいな面白い企画があったようです。
かなり積極的に応募しながら勉強していたようです。その後、波の会や合唱連盟の入賞とかまでたどり着いたらしい。
譜読みしていると色々気づくことがあります。
まず、詩の扱いがものすごく丁寧。
1番と2番で言葉のイントネーションが違えばメロディもかき分けてあります。
しかも、それを守るように背景を述べつつ指定しています。
そして、接続詞と拍の当て方に対する配慮が行き届いています。
昨今の児童向けの曲で個人的に大問題と思っているところです。
例えば、「わたしが」という詩の一節があった時に
〈わたし(小節線)がー〉としたとしましょう。
接続詞の「が」が強拍になり、日本語として美しくない歌になります。
他に挙げると「やっほー」という言葉を音にどう当てるか。
①〈やっ(小節線)ほー〉
②〈(小節線)やっほー(小節線)〉
アクセントのつき方、いいかえるとニュアンスや場面、景色に差がでてきます。
①やっ ほー!
②やっ! ほー
この二つの例でもお気づきの方もいらっしゃると思いますが、五線譜の中に詩情や日本語をしたためることは色々考えるべきことが多いです。
ドイツ歌曲やフランス歌曲とは発音も違いますから、音運びや単語に相応しいリズムも異なります。
そのためだと思うのですが、
技法の習熟と共に
変拍子や、曲中の頻繁な拍の変更がかなり増えているようです。
良いなと思ったのは、パッと読んだ時に
それが表面的な効果を狙ったというより、
詩を大事にするためにその手法になったのがわかることです。
気遣いの丁寧な仕事を見ると、言葉なしの器楽でやる上でも、弦、指、弓それぞれのより良い選択をせねば...というプレッシャーがあります(汗)
言葉とメロディが対等というか、有機的につがっているというか。
じっくり取り組むと、色々気付かされますね。
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