日本語・韓国語講師の Hayoung_Eiko です ^ ^
韓国語を勉強していると、
「あれ、これも“推測する”っぽいけど…
なんか空気が違うな」
と思う単語に出会うことがあります。
最近、私が気になったのが、
가늠하다
そして
종잡다
という言葉でした。
どちらも、
“相手や状況を完全には把握できていない”
という場面で使われることがあります。
でも実は、
この二つ、
“見えていない理由”が、
少し違うんですよね。
まず、
가늠하다 は、
「だいたい見積もる」
「感覚的に推し量る」
という意味です。
たとえば、
실력을 가늠하다
(実力を見極める)
마음을 가늠하다
(気持ちを推し量る)
거리 를 가늠하다
(距離を測る)
など。
完全に分かっているわけではないけれど、
“なんとなく輪郭は見えている”
そんな感じがあります。
少し遠くから、
ぼんやりと形を測っているような感覚。
日本語で言うと、
「見積もる」
「察する」
「推し量る」
に近いかもしれません。
一方で、
종잡다 は少し違います。
よく使われるのは、
종잡을 수 없다
(見当がつかない)
という形です。
たとえば、
감정을 종잡을 수 없다
(感情が読めない)
날씨가 종잡을 수 없다
(天気が読めない)
그 사람은 도무지 종잡을 수가 없다
(あの人はどういう人なのか全然読めない)
など。
ここで面白いのが、
“잡다(掴む)”
という単語が入っていることなんです。
つまり、
掴もうとしているのに、
掴めない。
近づいているのに、
輪郭が定まらない。
だから 종잡다 には、
“読めなさ”
“つかめなさ”
のニュアンスが強く残ります。
가늠하다 が、
「まだ全部は分からないけど、
ある程度は見えている」
だとしたら、
종잡다 は、
「見れば見るほど、
逆によく分からない」
に近いのかもしれません。
同じ“曖昧さ”でも、
韓国語は、
その曖昧さとの“距離”まで
言葉の中に入っている気がします。
人の気持ちも、
未来も、
関係も。
가늠할 수는 있어도,
종잡을 수는 없는 순간이 있죠.
――なんとなく分かるのに、
ちゃんとは掴めない。
韓国語には、
そんな“揺れる感覚”を表す言葉が、
意外とたくさん隠れているのかもしれません ^ ^
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