フランス語には、不思議な食べもの表現がたくさんあります。
しかも面白いのは、フランス人自身も「なんでそう言うんだろう?」と説明できないものが結構あること。
でも、その背景をたどっていくと、昔の暮らしや庶民感覚、時には歴史まで見えてきます。
今日は、そんな「食べものフランス語」の世界を少しのぞいてみましょう。
「りんごの中に落ちる」と、なぜ気絶?
フランス語で、
> tomber dans les pommes
と言うと、「気絶する」「失神する」という意味になります。
例えば、
> Quand il a vu le sang, il a failli tomber dans les pommes.
(血を見て彼は気絶しかけた)
のようによく使われます。
でも直訳すると、
「りんごの中に落ちる」。
かなり謎です。
実は、この表現の由来は完全には分かっていません。
ただ、有力なのは、昔使われていた
> être dans les pommes cuites
(煮りんごの中にいる)
という表現から来たという説です。
昔、「煮りんご」は、ぐったり柔らかく崩れた状態のイメージがありました。
そこから、
- ぐったりしている
- 力が抜けている
- 疲れ切っている
という意味で使われるようになったと言われています。
さらに19世紀の作家ジョルジュ・サンドが似た表現を使ったことで広まり、最終的に
> tomber dans les pommes
という現在の形になった、という説があります。
フランス人にとっても、「なぜりんご?」と聞かれると少し困る表現です。
元気いっぱいなのに、なぜ「桃」?
フランス語では、
> avoir la pêche
と言うと、「元気いっぱい」という意味になります。
例えば、
> - Tu as la pêche ce matin !
(今朝すごく元気だね!)
のように、とてもよく使われます。
でも、なぜ桃?
実はこれは比較的新しい表現で、1960〜70年代頃から広まったと言われています。
「桃そのもの」に特別な意味があるというより、みずみずしく健康的な果物のイメージが関係しているようです。
しかもフランス語には、
> avoir la patate
(じゃがいもを持っている)
という、ほぼ同じ意味の表現まであります。
桃でも、じゃがいもでも、とにかく元気ならいい。
そんなフランス語の適当さ(?)が少し見える気もします。
笑顔が「バナナ」になる理由
機嫌がいい人に対しては、
> avoir la banane
と言います。
例えば、
> - Il avait la banane toute la soirée.
(彼は一晩中ニコニコしていた)
のような感じです。
これはかなり想像しやすい表現です。
にっこり笑った口元が、バナナみたいにカーブして見えるから。
さらに、
> avoir une banane jusqu’aux oreilles
(耳まで届くバナナを持っている)
と言えば、「満面の笑み」。
フランス語は、こういう視覚的な比喩がとても好きです。
「サラダを語る」と、なぜ嘘になる?
フランス語には、
> raconter des salades
という表現があります。
意味は、「でたらめを言う」。
例えば、
> Arrête de raconter des salades !
(変なこと言うのやめて!)
のように使います。
サラダなのに、なぜ嘘?
由来は完全には分かっていませんが、有力なのは「ごちゃ混ぜ」のイメージです。
サラダは、いろいろな材料を混ぜ合わせて作りますよね。
そこから、
- 話を盛る
- 話を混ぜる
- 話をややこしくする
という意味になったと言われています。
確かに、話を盛る人の話って、いろんなものが混ざっています。
「豆の終わり」が、本当の終わり
フランス語で、
> c’est la fin des haricots
と言うと、「もう終わりだ」「万事休す」という意味になります。
例えば、
> Si on rate le dernier train, c’est la fin des haricots.
(終電を逃したらもう終わりだ)
のように使われます。
直訳すると、
「豆の終わり」。
実はこれ、昔の寄宿学校や軍隊の食事事情が関係していると言われています。
当時、豆は安価で最後まで残る食材でした。
つまり、
- 肉がなくなる
- パンもなくなる
- それでも豆だけは残る
でも、
「その豆すら無くなった」
となれば、本当に何も残っていない。
だから、「完全終了」という意味になったのです。
食堂のリアルな絶望感から生まれた表現だったのかもしれません。
ほうれん草にバターを入れる、小さな贅沢
もう少し生活感のある表現もあります。
> mettre du beurre dans les épinards
直訳すると、
「ほうれん草にバターを入れる」。
意味は、
「家計を少し楽にする」「生活をちょっと豊かにする」です。
例えば、
> Ce petit boulot met du beurre dans les épinards.
(このちょっとした仕事が家計の足しになる)
のようによく使われます。
昔、ほうれん草は庶民的で質素な食べ物でした。
そこに、当時は高価だったバターを加える。
それだけで、ちょっと贅沢になる。
この表現には、「大金持ちになる」というより、
“少し余裕ができる”
という、とても生活感のあるニュアンスがあります。
恋多き人の心は「アーティチョーク」
フランス語では、惚れっぽい人を、
> avoir un cœur d’artichaut
と言います。
例えば、
> Il tombe amoureux tout le temps. Il a un cœur d’artichaut.
(彼ってすぐ恋するよね)
のように使われます。
アーティチョークの心を持っている、という意味です。
アーティチョークは、葉を一枚ずつ取って食べる野菜。
そこから、
- 心を少しずつ配る
- 愛情をあちこちに向ける
というイメージが生まれました。
しかも昔から、
> cœur d’artichaut, une feuille pour tout le monde
(アーティチョークの心。みんなに葉を一枚ずつ)
という言い方まであります。
ロマンチックなのか、浮気っぽいのか、少し微妙です。
こうして見ると、フランス語の慣用句には、
- 昔の暮らし
- 食文化
- 庶民の感覚
- ちょっとした皮肉
がたくさん詰まっています。
しかも、パンでもワインでもなく、
- 豆
- サラダ
- ほうれん草
- アーティチョーク
のような、意外と庶民的な食べものが多いのも面白いところ。
単語や表現から、その国の国民性やユーモアが見えてくる瞬間があります。
食べもの表現は、その入口としてぴったりかもしれません。
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