日本語・韓国語講師の Hayoung_Eiko です ^ ^
韓国語を勉強していると、
「あれ、どっちも“縛られている”って訳されるのに、
なんだか空気が違うな…?」
と思う単語に出会うことがあります。
今回の言葉も、
まさにそんな表現でした。
それが、
「얽매여있다」
と
「매여있다」
です。
どちらも、
何かに“縛られている”状態を表す言葉です。
でも、
実際に使われる場面を見ていると、
微妙に見えている景色が違うんですよね。
まず、
「매여있다」。
これは比較的、
“物理的・状況的に縛られている”
という感覚が強い表現です。
たとえば、
일에매여있다
――仕事に縛られている
시간에매여살다
――時間に縛られて生きる
가족때문에한곳에매여있다
――家族の事情で一つの場所に縛られている
など。
“自由に動けない”
“何かの条件に拘束されている”
そんな現実的なニュアンスを感じることが多い気がします。
一方で、
「얽매여있다」は、
もう少し“心”に近い言葉です。
韓国語の
얽히다 は「絡まる」。
つまり、
ただ縛られているというより、
感情や考え、
過去の出来事まで、
複雑に絡まって抜け出せないような感覚を含みます。
だから、
과거에얽매여있다
――過去に縛られている
남의시선에얽매이지마세요
――他人の視線に縛られないでください
형식에너무얽매일필요없어요
――形式にあまり縛られる必要はありません
のように、
“心の中で離れられないもの”
に使われることが多いんですよね。
同じように見えても、
매여있다 は、
外側の事情に動きを止められている感じ。
얽매여있다 は、
内側で感情や思考が絡まっている感じ。
そんな違いが見えてくる気がします。
だから韓国語では、
「自由になりたい」
という話をするときでも、
何から自由になれないのかによって、
選ぶ単語が少し変わるんですよね。
時間なのか。
責任なのか。
過去なのか。
それとも、
“自分で作ってしまった思い込み”なのか。
同じ“縛られる”でも、
言葉が変わるだけで、
苦しさの質まで少し違って見えてくる気がしました。
韓国語って、
感情だけじゃなく、
“縛られ方”まで
細かく描き分ける言語なのかも、と思うと、
一層興味が掻き立てられてしまう
そんな私です^ ^
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