日本語・韓国語講師の Hayoung_Eiko です ^ ^
先日、生徒さんとレッスンで話していたときのことです。
韓国語には、
漢字語として見ると意味が分かりそうなのに、
実際の会話では日本語とは
少し違う感覚で使われる言葉が結構あるという話になって。
たとえば、
韓国語では「家庭教師」は 과외(課外)、
「一人暮らし」は 자취(自炊)、
「塾」は 학원(学院)。
漢字を見れば理解できそうなのに、使われ方に触れると、
その言葉がまとっている空気まで違うことに気づかされます。
そんな話をしながら、いくつか例を挙げていました。
「他にもあった気がするな。」
そう思った瞬間、言葉が止まりました。
「あれ、何だっけ……。」
そのとき、ふと頭に浮かんだのが、
뭐였지?
なのか、
뭐였더라?
なのか、ということでした。
どちらも日本語では
「何だっけ?」
と訳されることが多い表現です。
けれど、この二つには、
どこか違う空気が流れています。
韓国ドラマや韓国人同士の何気ない会話を見聞きしていると、
誰かが、
「아, 뭐였지?」
とつぶやく。
すると隣にいた人が、
「과외 말하는 거야?」
と、ごく自然に言葉を返します。
そのやり取りを見ていると、
「何だっけ?」という一言が、
いつの間にか一人のつぶやきではなく、
二人の会話へと変わっていることがあります。
一方、
「아… 뭐였더라…」
という言葉には、少し違う空気があります。
誰かに答えを求めるというより、
自分の記憶をたどりながら、
頭の中の引き出しを一つひとつ開けていくような響きです。
もちろん、相手が答えてくれることもあります。
それでも、その言葉は
まず自分自身へ向かっているように聞こえます。
ほんの一文字ほどの違い。
それだけで、言葉の向かう先が少し変わる。
文法書だけでは見えてこない、会話の温度です。
韓国語を学んでいると、
単語や文法を覚えることに意識が向きます。
それは、とても大切なことです。
ただ、言葉には意味だけでは拾いきれないものがあります。
誰に向かって発した言葉なのか。
答えを待っているのか。
それとも、自分の中でもう少し探していたいのか。
そんな小さな違いが、
会話の空気を静かにつくっているのかもしれません。
こうしたことは、辞書には載っていません。
けれど、人と人が言葉を交わす、
その一瞬の中には、確かに息づいています。
この違いを意識するようになってから、
韓国ドラマや韓国人同士の何気ない会話が、
以前より少し立体的に聞こえるようになったと思います。
次に誰かが 뭐였지?、あるいは 뭐였더라? とつぶやいたとき
その一言は、誰に向かっているように聞こえるでしょうか。
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