こんにちは。
人間形成の場、エンパワlaboの有岐です。
皆様いかがお過ごしでしょうか。
今日は昨夜、ふと浮かんだ言葉をここに書きたいと思いました。
ひとこと
だめでどうしようもない自分を抱きとめ、受け止める「力」。
周りの顔色を見て、自分を殺して周りに合わせることは、自分を守る力だった。
でも、あれから何十年も経ち、いまでもその方法で生きるには限界がある。
社会や自分、人という構造を知った後は、守っているだけではこれ以上進めない。
普通に働き、生活ができても常に足が地につかず、『生きる』という達成感を感じられない。
だめでどうしようもない自分を抱きとめる力—これが必要になる。
それは、いくら頭で分析し理解しても、全くどうにもならない。
これが―「肚の力」。
自分の弱さや不足感を誰かに「受け取ってもらおう」と、外側を探すのではなく、
自分の魂体の中に、軸力を創っていく。
これが、【内丹術】である。

私は剣道や居合が趣味ですが、毎週80歳以上の先輩と練習をしています。
みなさん、この力を磨きに、錆びないように来られます。
武術は、最後は勝ち負けではなく、「氣」の修練なんです。
頭の分析から離れ、体で肚でわかる道。
世界は、戦争の後に日本古来のものを禁止して力を封じました。
徐々に支配の縄を緩めた後も、
最後まで許さなかったのが剣道でした。
皆さんが思う剣道は、もしかしたら勝敗のある激しい動きのものかもしれません。
実際の熟年剣道は、「氣」を読むものです。
【肚】から出す渾身の「一足一刀」なんです。
私が学ぶ居合(戸山流居合道)の先生は、
「戦後、ほとんどの居合はきれいな形となってしまった」、そう言います。
本来は、その一足一刀で切るだけの「氣力」が、形の中にも必須なんだと。
戦後の陸軍戸山学校で指導されたものが、現在の戸山流となっています。
昔は、剣術は防具なしで「木刀」を使いました。だから、いつも真剣勝負なんです。
相手との氣の「まぐあい」なしでは練習にならなかったはずです。
自分だけで打つようなのは、それこそマスターベーションの氣です。
相手を大切に思う心、尊敬しあう心の中でこそ、氣は「正確」にまぐあいが起こります。
—それが、日本人だけが持つ『霊力』。
氣を相手に入れるとは、相手の氣が影響を受けて変化するということです。
だめでどうしようもない自分を抱きとめ、受け止める「力」。
弱さを敵ではなく、柔らかく抱きしめて溶かしてしまう力。
私流にいえば、「ママ」ではなく「おかん」的底知れぬパワーかな…。
氣功師の有岐でした。
氣功内丹術のレッスンは、「【通気】チャクラの開眼」からスタート

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