サムネイル

真の境界線はどこにあるのでしょうか。

Kirara.U

皆さんは、お手玉をしたことがありますか?
子どものころ、母が作ってくれた色とりどりのお手玉に夢中になり、よく遊んでいました。
お手玉は体の一部にように頭の上を舞い、空間そのものと自分が一体化したような感覚になっていました。

ところで、「私」とは何でしょうか。
どこに住んでいて、両親は誰々で、何年に生まれて、、、
私を定義するものはたくさんありますが、それは外界のものであり、「私」自身を完璧に説明することはできません。

過去の私と、今の私も別人です。
過去何を考え、決断したとしても、今の私には関係がありません。

私たちは5歳くらいまでに体験した世界を現実だと思い、その時獲得した戦略を大人になっても使い続けます。
しかし、それは過去の残像で生きているのと同じです。

私という個人の境界線はどこにあるのでしょうか。

頭を使いすぎている時、心と体が分離しているような感覚になり、同じ一人の人間にも関わらず、バラバラの不協和音を奏でているような気持ちになります。

360度私を取り囲む空間が私そのものだと考えてみてください。
目の前にはパソコンのキーボードを打っている自分の指が見えますが、その指までが自分なのではなく、そのパソコン自身も、壁も床も天井もすべての空間に私が広がっています。

もっと分かりやすく考えてみましょう。
ある人に連絡をしようと思っていたら、その人からメッセージが来たってことはありませんか?
あるいは、会う予定もなかったのに、外出先でばったり友達に会ったという経験はありませんか?

それは私という大きな空間が、他者の空間と重なり合って起きたことです。
例えば、カフェトークではオンラインで世界中の人と繋がることができます。時差もあるのに、こうやっていろんな方と関わり合えるのは奇跡です。そして、お互いの空間を共有しているからこそなせる業なのです。

そして、この大きな空間そのものを自分だと真に理解したなら、見える世界は変わってくるはずです。
頭で考える私は小さな存在ですが、実際は宇宙にまで広がる存在だとしたらどうでしょうか?

目の前で展開される全ての出来事は偶然ではなく、何かを観察するために存在している。
そう思えると、いつもの景色が物理次元に固定されたものではなく、宇宙規模の話になっていきます。

宇宙は遠くにあるのではなく、この瞬間のここにあるのです。

保存リストに追加済み

本コラムは、講師個人の立場で掲載されたものです。
コラムに記載されている意見は、講師個人のものであり、カフェトークを代表する見解ではありません。

レッスン

コメント (0)

ログインして、コメント投稿 ログイン »
Popular ribbon

出身国:

居住国:

教えるカテゴリ

講師の言語

日本語   ネイティブ
フランス語   不便を感じない
英語   不便を感じない
中国語   日常会話程度

Kirara.U講師の人気コラム

« 全講師コラム一覧へ戻る
お気軽にご質問ください!