母は、私の最初のピアノの先生でした。
とても熱心で、でも少し厳しいタイプ。
子どもの頃、ミスをすれば「なんでできないの」とよく言われました。
その後も、怖い先生のレッスンを受けて、
いつも緊張とプレッシャーのなかでピアノを続けてきました。
そのおかげで、ピアノのテクニックはつきました。
でも――自己肯定感は、ずっと下がりっぱなしだった気がします。
母は今になってこう言います。
「あのときあれだけ頑張ったから、今のあなたがある。ラッキーなことやで」って。
でも、私は自分の生徒には、あのとき自分が教わったような方法では教えていません。
テクニックがあることは素晴らしいことです。
でも、芸術って、それだけでは決して“豊かなもの”にはならない。
もちろん、技術の裏づけがあってこそ完成される演奏もあるけれど、
その技術を“怒られながら”身につけることで、
本当は大事な何かを失ってしまうこともあると思っています。
特に子どもは、生まれ持った性格で「嫌」と言えない子もいます。
そういう子は、大人の言うことに黙って従ってしまう。
気がつけば、自分の感情にふたをしたまま育ってしまうんです。
私自身がそうでした。
小さな頃から、我慢するのが当たり前で、
やりたいことがなんだったのか、よくわからなくなった20代を過ごしました。
体もよく壊しました。
一方で、私の妹はまるで正反対。
「やだ!」と大泣きして、すぐピアノをやめてしまった(笑)
天真爛漫で、自分の気持ちに素直に生きてきた彼女は、
いまもとても健康で、音楽を楽しんでいます。
テクニックはなくても、音楽性があって、自由な表現をしています。
私と一緒に習っていた友人たちのなかには、
ノイローゼになった子もいました。
アトピーがひどくなったり、精神的に追い詰められたり、
最終的にその先生は訴えられるようなこともありました。
それほどの環境でピアノを習っていたわけですが。。なぜかそのとき親は皆宗教にかかったかのように必死でした。今だから俯瞰して見れることで、その時はもうその中でしか生きられない自分がいました。
そんなことを言うと、まるで私がピアノを嫌いなようですが、その後だいぶ経ってからであった先生のおかげでピアノが好きになれました。私それまで母親もピアノも大嫌いでした。。今だから言える^^:いまは感謝でいっぱいです。
子どもの頃のピアノ教育が、よい反面教師になったと
いまでは素直に思えます。親は親なりに一生懸命だったんです。自分のためにエネルギーを使ってくれて本当にありがたいことです。
自分のやり方を一方的に押しつけないこと。
それでいて、生徒が自然と続けられるように導いていくこと。
レッスンって、
ただ曲を教える場所じゃなくて、
その子の“心の使い方”を一緒に育てていく場なんだと思っています。
かな
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