いろんな指導者、いろんな指導法があります。
しかし、そのきめ細やかさがどれくらいの粒度、目盛りなのか、は
共通軸で考えられるのではないでしょうか。
きめ細やか、というのは生徒さんそれぞれの頭の理解、
身体の都合、気質などにどれくらい寄り添えるか?という対応力だと思います。
間違っても、箸の上げ下ろしまで全部過保護にする、と言う意味ではありません。
10年15年習ったときに、ある程度自力で音楽が積極的に楽しめて、
周りを巻き込む力がついて自立(自律)することが前提です。
自立してくると、レッスンは「相談」や「意見交換」の場にレベルアップして
より可能性が広がり、楽しくなります。
ある名教師曰く、
「初歩からコンチェルトまで指導できる指導者が望ましい」です。
これは、最初に習う楽曲(例えばきらきら星)でも、大曲でも、
気をつけることのベースは共通していて、
「安易な指導によって生徒の能力(可能性)が制限され、
手掛けられる楽曲の限界が早まったりすること」を避けるべきだ、
という意味に自分は解釈しています。
基本的に弾けないときには(身体的限界を除き)、
楽譜の読み方のトラブル、姿勢のトラブル、楽器や
それに合わせて行う身体の機能理解のトラブルが生じています。
これらは段階的に能力を追加するのではなく、
最初からなるべく誤解や見落としを防ぐべきものです。
楽譜通りの音やリズムが出ている、という表面的な現象だけでは見抜けないです。
例外になる方や観点から外す要素もあるのですが、
自分の教わってきた先生方の属性や指導法や、
自分自身が意識していることについてなるべく誤解がないように書いてみましょう。
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【1】ソロ、少人数での演奏会
ソロ、少人数での演奏会をしていない(粒度:ノーコメント)
演奏の本番で気を遣う点や効果について知らない。
指導者自身が教わったことだけを知っている。
レッスンできる曲目が制限される。
ソロ、少人数での演奏会をしている=できる(粒度:中)
演奏の本番で気を遣う点や効果について知っている。
指導者自身が教わったこと以外に、演奏の現場での気づきや改善方法を知っている。
拡大しているレパートリーの知見から、知らない曲目にアプローチするときの知見がある。
※さらに細かくいえば、以下の観点があります。
レッスンを受けたことがある曲や軽めな小品のプログラム(粒度:粗)
教わったことだけを仕上げている可能性がある。
レッスンを受けたことがない曲や珍しい曲、
新作のプログラムもできる(粒度:細)
教わった以上のことも研究できる。
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【2】指導法
決められたテキスト、カリキュラム通り、
あるいは指導者自身がたどったっとおりに進む。(粒度:粗)
書かれていること、指導者自身が教わったこと以外はほとんど指摘しない。
適宜必要な箇所、教材をピックアップする。(粒度:細)
テキストに書かれていない考慮すべき点を指摘できる。
生徒自身の気づきを促せる。
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【3】音楽に関する言語表現
※物理的な説明や身体感覚の言語表現は別
教科書的な表現が中心(粒度:粗)
例)p:音量を小さく
クレッシェンド:だんだん音量を大きく
教科書的な表現と分けて、
感覚を擦り合わせられる表現ができる(粒度:細)
例)p:かわいらしく、テーブルで向かい合って会話するくらいの感じで
クレッシェンド:気持ちが前向きにすすむ、気分が高揚していくように
このフレーズは疑問系で
ここのスタッカートは嘲笑うようにしない
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【4】解釈・奏法
最終的に教わった解釈・奏法だけを信じている(粒度:粗)
複数の解釈・奏法を試し、
そのメリットデメリットを知っている。(粒度:細)
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ざっと最近感じることや考えていることを書き出してみました。
本当はもっと細かく、その背景とかその影響っていうのが
頭の中にはあるのですが、書き始めるとキリがないですね(笑)
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