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Cafetalk Tutor's Column

Rubrica di Momo Sensei

オスマン帝国外伝〜愛と欲望のハレム〜

Jul 9, 2020

皆さん、こんにちは!

今日は世界で8億人が視聴した、とされている2011年から2014年までトルコで放映されたテレビドラマシリーズのことで話します。本作は、史実をもとに大幅に脚色されたフィクションであり、トルコ本国で放映が始まるとともに人気ドラマとなり、高視聴率を記録する大ヒット作となりました。中東・東欧・アジア・北米をはじめとする世界約80か国・地域で放送され、全世界で8億人もの視聴者を熱狂させたとされています。

原題はMuhteşem Yüzyıl(ムフテシェム・ユズユル)で、直訳すると「壮麗なる世紀」。英題は The Magnificent Century です。

オスマン帝国の最盛期を築いた第10代皇帝スレイマン1[ 1]治世下の帝都コンスタンティノープル(イスタンブール)のトプカプ宮殿とそのハーレム(後宮)で繰り広げられた、女たちの嫉妬・欲望・恋愛・プライドによって引き起こされた喧嘩やいじめや陰謀を中心に、それに加えて男たちが行ったヨーロッパ諸国との戦争や男の側の恋心も描いた、大河ドラマの超大作です。

 

日本では、各回を分割して日本語字幕を付したバージョンが制作され、2017年からテレビ放映・ネット配信が開始された。

 オスマン帝国の勢力図


オスマン帝国の第
10代皇帝(在位:1520-1566年)
数多くの軍事的成功を収め、オスマン帝国を最盛期に導いた人物。英語では「壮麗帝(The Magnificent)」と称され、日本ではその偉大さから「スレイマン大帝」の名で呼ばれることが多い。トルコでは法典を編纂し、帝国の制度を整備したことから「立法帝(Kanuni)」とも呼ばれている。


若くして帝国の支配者となったスレイマンは、1521年にベオグラードを占領、翌年には聖ヨハネ騎士団を駆逐してロードス島を陥落させた。1526年にモハーチの戦いに勝利してハンガリーに進出すると、1529年には第一次ウィーン包囲を敢行しヨーロッパの人々を恐怖に陥れる。さらに、1538年にプレヴェザの海戦でキリスト教徒の連合艦隊を破り、地中海の制海権をも掌握した。こうした領土の拡大だけでなく、イスタンブールのモスク建設など、帝国の文化的発展にも大きく貢献した。

オスマン帝国のハレム


オスマン帝国のハレム(後宮)は極めて大規模なもので、その数は最盛期には1,000人を越えたとされている。捕虜や奴隷として宮廷に献上された女性たちは、礼儀や作法、手仕事、音楽、文学と幅広い教養を身につけ、一定の教育段階に進んで初めて、皇帝への直接の奉仕が許された。
ハレムには皇帝の母である母后(ヴァーリデ・スルタン)を頂点に、皇帝の寵愛による序列が存在していた。ヒュッレムがハレムに入った時、母后についで大きな権力を持っていたのが皇子ムスタファを産んだ皇帝妃マヒデブランである。しかし、ヒュッレムはすぐにスレイマンの寵愛を受けて男児を出産し、ライバルたちの嫉妬を浴びながら瞬く間にハーセキ(皇帝の子を儲けた寵妃)となる。さらに、オスマン帝国の慣習を破り、スレイマンとの間に複数の子をもうけると、はては当時としては異例の婚姻関係を結び、正式な妻の地位にまで上り詰めた。

 

 

このリンクからもっと詳細みえますので、どうぞ!https://www.ch-ginga.jp/feature/ottoman/

 

トルコの歴史は日本の高等学校でも学びますので、この素晴らしい時間に戻ってみる方は是非、楽しんでみてください。

 

トルコ語を覚えたい皆さん、レッスンに会いましょう!

 

 

 

This column was published by the author in their personal capacity.
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