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Cafetalk Tutor's Column

SARINA 讲师的专栏

15歳の時の初恋相手から、42年ぶりに連絡が…。

周间主题: If you could go back in time, when would it be?

2021年9月15日

今週のテーマ、「もしも過去の私に戻れるとしたら…。」
これ、今の私の心境にピッタリのテーマなんです。
何故なら、先日、42年ぶりに、初恋の相手から連絡があったからなのです。
時はさかのぼり、あれは1978年、 田舎の中学校を出て、すでにアメリカ留学が
決まっていた私は、その準備をする為、東京の大手英会話学校を3ヶ月間通う事となり、一人上京してきたのです。当時、まだ15歳。 赤いオーバーオールを履き、白いキャップをかぶって学校に行くと、当時は、英会話学校という場所が珍しく、クラスに入ると、皆んな大人ばかり。それまで、同い年の子達と並んで授業を受けていた私にしてみれば、何もかもが別世界で、大人と肩を並べて英語を勉強する行為そのものが、緊張の連続でした。すると、一人の男性が、休憩時間、私のデスクに近づいてきて、優しく声をかけてくれたのです。
見上げると、そこには、ベルボトムのパンツとVネックのゆったりしたトップス、そして、厚底ブーツを履いた長髪青年でした。まさしく昔の野口五郎似の70年代ファッション。
田舎では、見たこともない…いや、テレビでしか見たことのない姿のお兄さんだったので、
初めは、どう対応していいか分からず、躊躇していたのですが、クラスを毎日、共にして行くにつれ、会話も弾み、他の大人のクラスメイト同様、とても可愛がってもらいました。
よく彼がハマっていたジャズ喫茶とかに行って、ジャズの話を聞かされていたのですが、
まだスヌーピーの筆箱を持っていた年頃の私にしてみれば、もうチンプンカンプン。
後楽園の遊園地とかに連れてってもらった時は、はしゃいでいる私の横で、乗り物酔いしながら、必死で笑顔を作ってくれていたお兄ちゃん。某美大に行っていた時に描いた絵をみせながら、次は、NYの名門美術大学に行く為、英語を勉強しているという話も聞かせてもらったり。全てが、刺激的で、楽しかった15歳の夏でした。そんな日々を過ごして行くうち、私の中で、恋心が芽生え始めたのです。でも、相手は21歳。女子校出だった事もあり、男性に対する免疫力すらなかったの私に取っては、ハードルの高い大学生。そして、彼の元カノが、足の長いモデルだったと聞いて、落胆。立候補する枠にも入れるわけがないと断念し、自分だけの中に秘めていたのです。
そうこうしているうちに、3ヶ月が過ぎ、私のアメリカ行きの日程が決まり、東京にいられるのも残り少なくなって来た頃、お兄ちゃんが、私を、新宿高層ビルにあるレストランに
連れて行ってくれて、ランチをご馳走してくれたのですが、その後、下のオープンカフェで、突然、「好きです」と、私に告白を…。そして、彼の名前のイニシャルが入ったシルバーのネックレスを私の首にかけてくれたのです。まるで、少女漫画の主人公にでもなった気分で、興奮し、何度もほっぺたをつねったりして、幸せを噛み締めていたひと時でした。
その後日、二人は、横浜の山手に行き、港を眺めながら、お別れではなく、離れ離れになっても、気持ちは繋がっていこうという誓いの言葉を交わし、私は、一人アメリカへと飛び立って行きました。
一年後…。
海外留学という過酷な時間を過ごし、大変な思いをして、まだ未熟ながらも英語の上達を実感しながら、夏休みに友人を連れて、日本に帰ってきた私なのですが、16歳になった事もあり、もう一歩、お兄ちゃんタイプの(元カノのような)大人に近づきたい一心で、ハイヒールと派手なワンピースを着て、アメリカ仕込みの似合わない化粧をし、大きなイヤリングを身に付けて、一年前誓いを交わしたお兄ちゃんと、再会する事を楽しみにしていました。
ところが、いざ再会したら、何かが起きたのです。会話の中で、何かが原因となり、口論へと発展。
口論の原因は、全く覚えてないのですが、二人は、それから別れ離れとなってしまいました。
覚えているのは、彼の落胆した顔。 
私は、あの時、あまりにも変貌してしまった私の姿を見て、彼が私に幻滅し、失望して去って行ったのだと思い、その後、何度も自分の愚かさに恥じていました。その後、風の噂で、彼が、例の英会話学校のハワイ出身の美人先生と交際をし始めているという話を聞き、やはり、私は、縁のなかった相手だったのだと、自分を説得させ、その時点で、淡い恋心のアルバムを閉じたのです。(彼いわく、これは、根拠のない噂だったそうな(^^;;)
そして、その事が原動力となり、自分が相手好みに合わせるのではなく、自分という素材をいかに磨き上げて、魅力のある女性になるべきだと頭を切り替え、全身全霊で、アメリカの高校、大学と挑み、そして成績トップで卒業。その後、NYでパッケージデザイナーとなり、キャリアを重ねていったのです。
そして、42年後…。
突然、その音信不通だったお兄ちゃんから連絡が来て、もう何が何だか。
本当に、驚きました。
実は、彼は、16年前から、私の活動を、ネットで見ていたそうなのです。
でも、苦い別れ方をしている事もあり、連絡はするつもりはなかったそうで、なぜ今になって、連絡をしたかというと、今年、私が別なブログでアップした内容の中に、42年ぶりに再会したメキシコ人の友人の話が出ていたので、もしかしたら、自分も覚えていてくれているかもしれないと、勇気が出たのだそうです。
It was such a wonderful surprise..
実は、このメキシコ人の友人が、42年前に、日本へ連れて来た友人だったのです。
彼と別れ離れになる前、彼女を連れて、3人で踊りに行ったのですが、その時、私が席を外している際、彼女が、彼の目を直視し、こう聞いたそうです。「彼女のこと、好きなんでしょ?」と…。ピンポイントで聞かれた為、ちょっと狼狽えたそうで、そういう意味でも、彼女の事は覚えていたそうです。でも、どこの国の人までは把握しておらず、私のブログで見たメキシコ人の友人が、まさかあの友人だったとは、後で彼もかなり驚いてました…。 不思議な縁です。

それで、彼に、その別れ離れになった時の心境を、改めて確認してみると、実は、私の変貌ぶりに失望したのではなく、
私の言動の中で、「男なんて沢山いるのよ〜」というような印象を与えてしまったようなのです。^^;
アメリカの女子校の寮生活をしていたわけで、そんな事ありえない話だったのですが、当時、彼は、そういう捉え方をしてしまった。いや、多分、私の言い方がそうさせてしまったのだと思います。
背伸びした自分を受け入れてもらいたい一心で、乙女心を傷つけられる前に、自分が、先に守りに入ってしまい、強気で、つい余計な事を言ってしまったんだと思います。反省…。(−_−;)
でも、彼は、例え、私にボーイフレンドが出来てたとしても、全く受け入れるつもりでいたそうです。好きには変わりはないから(彼の発言)。 その後、彼は、何が起きたのか、よく分からず、頭が真っ白のまま、
暫くひどく落ち込んでいたそうです。(泣)
要するに、二人の…いや、私の一方的な勘違いと、必要のない言動によって、二人を別れ離れにさせて
しまった。。42年も。。という事です。
もし、あの時の再会に戻れるとしたら、自分に言いたい。「今度はちゃんとやれ〜」、、と。
因みに、この彼は、その後、世界中で認められるCI(corporate identity)デザイナーとなり、
様々な賞を100個近く受賞し、それによって、NYのEmpire State Buildingにもオフィッスを構えた時期もあり、様々な世界の著名人と仕事をするほどの地位に上り詰めるまで、頑張ったそうです。そして、長年と、収入の一部を国連や他の団体に寄付をし、自分も社会活動に専念し、外国の子供たちに、クリエイティブな事を通して教育支援を続けているそうです。
当時、私がバングラデシュ生まれだとは知らなかったそうですが、その後、お国の仕事で関わるようになり、100回ほど行き来し、現地でも、1年間住んだ事もあったそうで、彼に取って、私の出生国が、第二の故郷になっていたとは、聞いた私もびっくり。。こんな不思議な縁ってあるんですね?
そして、彼が私のプロフィールを見て、もう一つ驚いた事は、当時、彼がNYの有名美術大学に行きたくて、英会話学校に通っていたという事を上記でも書きましたが、実は、私が卒業した美大が、そこだったのです。(彼は、家庭の事情で断念) その後、私が、彼と同じくデザイナーという職につき、NYの大手デザイン会社に入って勤務していた事も、プロフォールを見るまで知らなかったようで、大変驚き、嬉しくて一人大泣きしてくれていたそうです。(当時、私が美大を将来目指していた事は、彼は知らなかった)
そう言う事で、二人の、その後の経歴が、沢山シンクロしていた事には、私も大変驚きましたし、
長い年月をかけて、やっと今、二人とも、「お疲れ様」と言いながら、互いに笑って、過去に向き合える時期が訪れたんだなあと、心の底から、そう思います。
そして、メキシコ人の友人との再会があったからこそ、彼が勇気を出して、連絡してくれたわけですから、彼女にも感謝の言葉を贈りたい。Thank you ...




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