規則正しく太陽を昇らせて、
風を巻き起こして、
雨を降らせて、花を咲かせて、
海に波を起こして、
星を輝かせて、
あらゆる循環を行う何らかの力がある。
ぼくたちはその力の存在を知りながら、
その本来の姿を知らない。
それが心を生み出すのか。
心がそれを生み出しているのか。
生命が何かを考えるとき、
それは心を使い、よく見れば、
心を見る心がある。
それは内側からも外側からも見ていて、
実際どこにあるのかそれもわからない。
それでも何かに迷うとき、
窮地に立たされたようなとき、
ぼくはこの得体の知れない確かな力を見るようにそれに成るようにしている。
偉そうなことは全く言えないのだけれど、
この不思議な力。
生命を司る大いなる力は、
真実の祈りに応えてくれる。
あなたもその経験があるはずだ。
ときにそれは友人のような温かさで、
ときにそれは親族のような力強さで、
ときにそれは聖人偉人のような大きさで、
そして宇宙の本来豊かな愛として、自分自身として、
ぼくたちに奇跡を見せてくれることがある。
ぼくが中学生の時はまだ8ビットだったコンピューターが
今やIA化が進み、容量でいえば家庭でもテラを扱うことができる。
キロからメガになりギガになりテラになった。
それでも情緒に関しては、
まだそれらが人間を超えることはない。
もしもそれがあるとすれば、
人間側が情緒の判断をできないほどに愚かになってしまった時だろう。
情緒と自然はとても密接にあるように思う。
自然というその源の大いなる力。
この世界は仮想現実であるということを、
夢物語と見れば確かに夢で、ここには現実があるとも言える。
だけど、全てが現実として見るならば、
自然もまたあり得ないということになる。
この世界の不思議を不思議と認めることができるところに鍵はあるように思う。
人間と自然の情緒を体験したくて、
ぼくらは生まれてきたのでしょう。
そしてそれを司る大いなる力はきっと、
いつのときも生命を見守ってくれているのでしょう。
Makoto ATOZI
ファミリーレストランジョイフルにて投稿
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