「私は日本人でも中国人でもなく、地球市民だと思っています」
「私は私で、国籍は二の次です」
日本で働いている中国人にインタビューした研究論文で彼らが自己認識について語った言葉が紹介されていました(趙・田中2021)。この論文によると異文化ストレスを経験した人は「文化超越的思考」を持つ傾向があるようです。
私は最近、日本で働く外国人が経験する異文化ストレスについて研究しています。「年功序列制」や「本音と建て前」、「メンバーシップ型雇用」で明確な職務内容の定めがないことなどに外国人社員がモヤモヤしてしまう実態について知るうちに、留学生に日本で就職することをお勧めすることに自信が持てなくなることがありました。彼らが日本の企業に就職し、日本社会の中で暮らしていく未来には辛い経験が待っているのではないだろうか。自分らしく生きることができるのだろうか。そのように不安になることもありました。
しかし、異文化ストレスは悪い面ばかりではないことに気づきました。文化の衝突を経験した人は、文化を超越した考え方を持つようになり、新しい視点で自分と社会を見ることができるようになるという点では人格的成長につながると言えます。
在日コリアンの異文化適応について研究した論文の中でこのように書かれていました。
文化の衝突は確かに精神的なダメージにつながる可能性がありますが、衝突は自由を求める気持ちを生み出す効果もあります。つまり、社会の中で差別や衝突を経験した在日コリアンは、自分たちのアイデンティティに悩みますが、それは新しいアイデンティティを確立するプロセスになります。国籍を超越した新しいアイデンティティです。
(Lee&Tanaka2017,p.57、原文は英語、筆者日本語訳)
最近、こんなニュースがありました。2025年3月24日の国会の委員会で、自民党のある参院議員が、優秀な博士課程の学生に支給する国の支援制度の受給者の約3割が中国籍の留学生だったことを指摘して、「日本の学生を支援する原則を明確に打ち出さなければ、国民の理解は得られない」と述べたというものです。
これについてSNSでは賛否の声が巻き起こっていますが、私自身は国籍を超越した視点から考えることも重要だと思っています。つまり、優秀な研究成果から日本人も中国人も国籍に関わらず恩恵を受ける可能性があるのなら、日本国民は日本の大学における研究活動を応援する意義があるという見方です。
もちろん税金の使われ方なので、国民の理解を得る必要があるという指摘はその通りだと思います。
ただ、文化超越的思考は多数派の中で暮らしているとなかなか持ちにくいものだと思います。国境を超えて学んだり、働いたり、暮らしたりしている人々が、衝突や差別などに苦しみながら新たな視点を身につけているということから学ぶべきことは多いと思いました。
<参考文献>
趙師哲・田中共子(2021)「中国籍高度外国人材にみられる文化変容方略と幸福感および異文化ストレス~在日元留学生9人の事例から~」『愛知淑徳大学論集―グローバル・コミュニケーション学部篇―』第5号、pp.35-46.
Lee, JungHui & Tanaka, Tomoko(2017)“Superordinate Identity in Zainichi Koreans (Koreans Living in Japan)”, The IAFOR Journal of Psychology and Behavior Sciences, Vol3,No.1, pp.49-60.
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