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Cafetalk Tutor's Column

Meguco 講師のコラム

実りの秋の集大成「栗ご飯」をいただきながら瞑想してみた

2022年9月28日

こんにちは。Megucoです。

実家で収穫した新米と栗が届きました。
早速新米と剥き栗を使って栗ご飯を炊きました。
詳細はこちらからどうぞ

食べるときに、米と栗をこうしていただけるようになるまでのストーリーを想像してみました。
頭を空っぽにするいつもの瞑想とはちょっと違って想像力を働かせるので、今回はイメージ瞑想に近いです。

栗が苗から育って実をつけるまで、どれだけの時間がかかったでしょう。
中にはちゃんと成長できずに実にならずに終わったものもあったでしょう。
虫に食われたものもあったでしょう。
成長が不十分で小さいままの栗もたくさんあると思います。
台風の雨風や雪の寒さにも耐え抜いてきたわけです。
そう考えると我が家に届いた大きくて立派な栗が勝ち残った勇者のように思えてきました。
 
家族は栗を拾いに行く時間と労力、栗を剥く時間と労力、結構かかっているはずです。
それ以前に栗の木のお世話もあります。
枝を剪定したり、虫や病気にかからないよう消毒・防虫したり、栗畑の草刈りなどもしているでしょう。
 
お米もしかり。
籾をまいてから苗、苗を田に植えてから稲に生長する段階で、いったいどれだけ厳しい自然条件を潜り抜けてきたかしれません。
家族だって、田植えをしてから毎日田んぼを見回って水の量を調整したり、稲の状態を観察したり、雑草を抜いたりいろいろ苦労があったはず。
そうして稲刈りして収穫、乾燥・精米の過程を経たものが、こうして我が家に届いたわけです。
 
育ててくれた自然の力、お世話してくれた家族の力、運んでくれた人の力、いろんな方々の力があって、我が家にやってきた米と栗。
もちろん普段いただいている野菜や果物にも同じことが言えます。
 
そう考えるともう、今目の前にある食べ物には「有り難い」しかないです。
「ながら食べ」なんて失礼に思えてきます。
 
だから感謝の意を表するためにも、最後の仕上げである「調理」にもできるだけ時間と心を込めてていねいに行いたいと思って、やっています。
結局シンプルな味付け・調理方法が一番おいしいんですけどね(笑)


こうした長いストーリーを経て、我が家にやってきた食べ物たち。
それを調理して、おいしく味わえる健康な体。
 
どう考えても「生かされている」としか思えません。
どう考えても「私は幸せだ」としか思えません。
 
実家で採れた文字通り「有り難い」米と栗。
実りの秋、食欲の秋を、全身全霊で感じて味わいつくした栗ご飯の食卓でした。

本コラムは、講師個人の立場で掲載されたものです。
コラムに記載されている意見は、講師個人のものであり、カフェトークを代表する見解ではありません。

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