私は小学生のころ作文が嫌いで、原稿用紙を前に半べそをかいていました。そんな時、「話すように書いてごらん。話せるんだから、書けるはずでしょ。」というアドバイスを先生たちから聞いた記憶があります。もちろん書くことへの抵抗感を下げて、書き始めるきっかけを与えるうえでは有効なアドバイスだと思うのですが、話すこと書くことには本質的な違いがあり、「話せるから書ける」は間違いです。どんなに日本語が流暢に話せても、文章を書く訓練を受けなければ適切な文章を書けるようにはなりませんし、日本語母語話者でも書き言葉を学習し、話し言葉との違いを認識する必要があるのです。
日本語での文章の書き方を学んでいない人は、話し言葉と書き言葉の区別ができません。そのことを示唆する調査結果があります。秋山(2021)では、大学生と高校生に話し言葉と書き言葉の認識に関するアンケート調査を行い、大変興味深い報告をしています。たとえば、(1)の「たぶん」、(2)の「けど」のように書き言葉では使われない語を含む例文を示し、当該の語(下線で示した語)がレポート・論文で使用しても良いかどうかを評価させる、そして、使用できない語である場合は適切な言い換え語を回答させるというアンケート調査を行いました。
(1) この結果でたぶん間違いないと考えられる。
(2) 国民の関心は高いけど、政策に反映されていない。
その結果、大学生よりも高校生の方が不適切な語を許容する度合いが高いことがわかりました。つまり、「たぶん」や「けど」のような語をレポート・論文でも使っても問題なしと判断する割合が高いということです。高校生は大学生と比べて、レポートや論文を書く機会が少なく、学校で文章の書き方を学ぶ機会が少ないため、話し言葉と書き言葉の区別があいまいにしか認識されていないのだろうと秋山(2021)では考察されています。
また、高校生の回答の中には「けど」の言い換え語として「ですが」を書くなど、敬体(です・ますなどの丁寧体)にすれば書き言葉になると考えている人がいるようです(秋山2021、p.43)。このような文体の違いと書き言葉と話し言葉の区別を混同する問題は、日本語学習者にも見られます。後で詳しく解説しますが、常体(普通体)か敬体(丁寧体)かの区別と話し言葉か書き言葉かの区別はイコールではありません。書き言葉と話し言葉の表現の違いを考える際に、「硬い表現」か「くだけた表現」かという区別と混同してしまう問題があります。友達と話すときに使うようなくだけた表現と改まった場面で使われる硬い表現との区別はできるが、それと話し言葉/書き言葉の区別との関係がよくわからない、こういう問題があるようです。
実は、話し言葉の中にも「硬い表現」と「くだけた表現」があり、書き言葉も同様なのです。そして、話し言葉で使われやすい表現と書き言葉で使われやすい表現はグラデーションをなしており、話し言葉で使われる硬い表現の中には書き言葉でも使われるものがあり、特に硬い表現は書き言葉でしか使われないという段階性が存在します。接続詞については、「なので」や「ですので」はどちらも話し言葉でしか使われません。「そして」は中間に位置していて、話し言葉でも書き言葉でも使われます。「したがって」は改まった場面で話し言葉で使われる可能性がありますが、主に書き言葉で使われます。
日本語学習者も、日本語能力試験N1(一番高い級)の合格を目指すようなレベルの人は、日常生活では使われないような日本語の表現も学習することになりますが、それらが書き言葉で使われるかどうかの判断は難しく、しばしば「日常会話で使わない表現=書き言葉」と理解してしまうようです。<参考文献>
秋山英治(2021)「話し言葉・書き言葉に対する大学生・高校生の認識」『愛媛大学法文学部論集、人文学編』第50号、pp.33-60.
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