今日は、生徒さんからよく聞かれる質問について解説します。
次のAとBのような「書いてある」と「書いている」は同じ意味なのか、違うとすればどう違うのかという質問がよくあります。
A:資料に書いてあるように、新制度は四月から実施されます。
B:資料に書いているように、新制度は四月から実施されます。
まず、初級の日本語教育では、「~てある」と「~ている」の違いを次のような例を使って教えます。
(1)「あ,窓が開いていますよ。閉めましょうか。」
「今から掃除するので,開けてあるんですよ。」
つまり、「ている」の前は変化を表す自動詞で、変化の結果の状態を表すのに対して、「てある」の前は意図的な行為を表す他動詞で、行為の結果が残っているという意味を表すという説明です。「窓が開いていますよ」と言えば、誰が開けたかわからないが今、窓が開いた状態だということを述べているのに対し、「窓を開けてあるんですよ」は(私が)意図的に開けて、掃除をする目的のためにわざとそのままの状態にしていると言っていることになります。このような例では「ている」と「てある」の違いを理解する上ではわかりやすいのですが、次のような場面では「ている」と「てある」の意味が非常に似ているように思われます。
(2)お母さんが出かける前に娘に伝える場面で
a.晩御飯はもう作ってあるから、それを温めて食べてね。
b.晩御飯はもう作っているから、それを温めて食べてね。
(3)常備薬を探している場面で
a.薬はいつも二番目の棚に入れてあるんだけど、おかしいな。
b.薬はいつも二番目の棚に入れているんだけど、おかしいな。
(4)鍵を探している人に伝える場面で
a.「あれ、鍵がない」「鍵なら、机の上に置いてあるよ」
b.「あれ、鍵がない」「鍵なら、机の上に置いているよ」
これらは、同じ動詞に「ている」と「てある」のどちらを付けても同じ場面で使える例です。このような場合に「ている」と「てある」はどう違うのかというのが冒頭の生徒さんからの質問なのです。
(2)~(4)の例で使われている動詞「作る」「入れる」「置く」はすべて他動詞です。そして、行為の結果として対象の位置が変化したり、対象が新しく生み出されたりする意味を表します。冒頭の「書く」もそうです。このような動詞の場合、「ている」を付けると行為の結果や行為の影響が残っていることを表すことになり、「てある」の意味と近くなるのです。冒頭の例を使って説明しましょう。
A:資料に書いてあるように、新制度は四月から実施されます。
→誰かが資料に書くという行為をした結果、資料に文字が残っている
B:資料に書いているように、新制度は四月から実施されます。
→資料を作成した人が資料に書くという行為をした結果、資料に文字が残っている
「書いてある」も「書いている」も「書く」という意図的な行為の結果として文字が資料に印刷されていることを表している点では変わりはありません。では、違いはというと、「書いてある」は資料の文字や資料の内容に注目しているのに対して、「書いている」は資料作成者(自分かもしれませんし、特定の作成担当者を想定しているかもしれません)が書くという行為をしたことに注目しています。
もともと「ている」は「完了」を表す意味がありますが、文脈によっては、その行為の完了が現在まで影響を残していることを含意することがあります。典型的なのは次のような例です。(5)~(7)は主語である人物が何らかの行為をしてそれが功績として残っていたり、現在にも影響を与えていたりする意味を表します。
(5)松下幸之助は「成功には努力が必要」と言っています。
(6)福沢諭吉は「学問のすゝめ」の中で平等を説いています。
(7)野口英世は細菌学の研究で多くの論文を書いています。
つまり、「ている」は完了、「てある」は結果の状態を表すのですが、この二つの表現はバラバラに学習するので類似性に気づかないのです。もともとの意味を考えれば、「ている」は主語の行為が完了したことを表していて、「てある」は対象が変化した結果が存在していることを表しているという違いがあります。同じ場面で使えますが、前者は行為に焦点を当てていて、後者は結果に焦点を当てている点で違いがあるということです。
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